本の紹介:橋本治「これで古典がよくわかる」

 最近、橋本治さんの「これで古典がよくわかる」を再読しました。この本には別に有名古典作品の解説が書かれているわけではなく、文字のなかった日本に漢字が入って来て、そして和漢混交文ができるまでの過程、古典だって生身の人間が書いたのだ、ということなどが書かれています。とても面白いので一部を引用したいと思います。

「 < あしびきの山鳥の尾のしだり尾の
    ながながし夜をひとりかも寝む >

 柿本人麻呂の歌です。有名なこの歌を見ると、「ほんとになに言ってんだかな」という、いたって幸福な気分になります。「あしびきの」は「山」にかかる「枕詞」で、「山鳥の尾のしだり尾の」は、「長い」にかかる「序詞」なんですね。つまり、「あしびきの山鳥の尾のしだり尾の」には、なんの意味もない。「山鳥の尾は長くたれている ー だから”長い”」、ただそれだけです。この歌の意味は、ただ「えんえんと長い夜を一人で寝るのか。。。」だけです。なんだかわけのわからない言葉を延々と読まされてきて、意味はそれだけ。「えっ、そんな解釈でいいの?」と、私は高校生だった昔に、喜びました。あんまり勉強が好きじゃなかったからです。
「人間の感情を素直に歌い上げる」はずの「万葉集」の中に、こんな冗談みたいなものが入っているなんて、なんだかとても嬉しくなりました。「あしびきの山鳥の尾のしだり尾の」だけで前半を終わらせてしまうなんて、「内容空疎の技巧本位の極み」みたいなもんでしょう? それが「日本文化を代表するようなものの一つ」って、なんだか嬉しくありません?
「かも寝む」の「かも」は((中略))。つまり、「かも寝む」とは「寝るのかよォ」ですね。「こんなに長い夜を一人で寝るのかよォ」が、日本を代表する天才的歌人柿本人麻呂の「有名な作品」です。  」(引用終わり)

 古典が急に身近になりませんか?
 古典は「まだちゃんとした日本語の文章がなかった」時代に書かれたものなので、つまり滅茶苦茶だから専門家であっても意味ははっきり分からない。分からなくて当たり前なのだから、人間が書いたということを前提に自分で解釈しようよ、その方がきっと正しいよ、というスタンスです。

 他にも少し紹介すると、鎌倉三代将軍実朝が「ややこしい家に生まれてお飾り将軍で関東というイナカからトカイである京都の文化に憧れることだけに生き甲斐を見いだしていたオタク青年」だったことを踏まえ、彼の歌を解釈します。
 普通、実朝の歌は「雄大で男らしい万葉ぶり」と評価されていて、たとえばこの歌、

 大海の磯もとどろに寄する波
 破れて砕けて裂けて散るかも

 も、「雄大な海岸の荒波を表現した男らしい歌だ」となっています。
 ところが橋本さんはここで、ちょっと待てというわけです。「ややこしい家でストレス一杯のオタク青年」が「破れて砕けて裂けて散る」って言っているのはヤバイんじゃないか、「死ね死ね死ね死ね」って言ってる感じがしないか? と。しますよね?

 橋本さんの本には世界の20世紀を一冊の本で解説したものもあって、ざくっとばっさりおおまかに何でも説明されています。面白いけれど、でもそれでいいのかな、人間の複雑な行いの集合ををそんなに単純に説明してしまって、という思いがずっとあったのですが、物理学者が物体を「球だと仮定」するように、枝葉を切り捨てて本質をすぱっと説明することの大切さを最近思い知りました。そのことを書こうと思っていたのですが、長くなったのでそれは次回に。

これで古典がよくわかる (ちくま文庫)
筑摩書房


二十世紀〈上〉 (ちくま文庫)
筑摩書房