大山日記(1)

 つまり、これはダイレクトに宇宙空間を眺めているということなのだ。
 星の数が多すぎて、一番簡単に見つかる筈の北斗七星すら見つけることが難しい。
 天の川を自分の目で見るのは初めてのことだった。どら焼き型に潰れた僕達の銀河系。内側からそのシルエットを眺めること。
 この夜、地面に寝っころがって星空を眺める僕達は、7個か8個くらいの流星が空に長く短く、それぞれに尾引くのを見つけた。
 どこか遠くの空で蠢く雷の、光だけがこの空にも、時折薄ら青く届く。

 9月11日から一泊で大山へ行ってきました。京都を9時に出発し、米子自動車道蒜山高原サービスエリアで昼頃に待ち合わせて、2台の車で大山にある友達の別荘へ。別荘はいかにも別荘という感じの所でした。高い天井と広いリビングに暖炉、古いレーザーディスクのカラオケセット、グラスとお酒の並んだ大きな作り付けの棚、古いレコードとオーディオシステム。到着してすぐにKは「コナン君がいたら確実に誰か死ぬね」と言った。然り。

 一息着いて、無計画な僕達はこの日の午後をどうしようかと話し合い、近所にある植田正治写真美術館へ行くことにした。ここへはかねてからKが行きたいと言っていたのだけど、まさか別荘が美術館の近くで本当に行くことになるとは思っていなかった。

 大山を臨む田舎に、忽然現れる写真美術館。ありがちと言えばありがちなコンクリート打ちっ放しの幾何学的な形で、ずいぶんな存在感がある。
 大山を眺める為の窓の配置といい、内部もきれいに設計されていた。誰かが「この建物って高松伸っぽいね」と言い出して、「そうなんじゃないの」と言っていたら本当にそうだった。そういえば僕たち7人のうち5人がデザイン、アート畑出身だ。流石。

 植田正治写真美術館の一番ニクいところは動画上映の部屋かもしれない。この部屋では写真の歴史と植田正治さんの作品を簡単に紹介する短い映画が流れるのだけど、一つ仕掛けがある。
 部屋には大山を望む方向に直径60センチだかの大きなレンズが付いていて、レンズからの光が壁に像を結ぶようになっている。動画上映の為、真っ暗になった部屋は、まさに巨大なカメラの内部だ。本当なら巨大なフィルムがあるべき場所、後方の壁に外の景色がアップサイドダウンで映し出される。この日は残念ながら曇り空だったので、それほど明るい像は得られなかった。晴れ渡った日にはさぞかし輝かしい景色が映るのだろう。僕はこの演出というかシステムにすっかり心を奪われた。

 植田正治さんの言葉で一番心に残ったのは、「撮られているということを意識させて、正面切って撮る」というものでした。
 自然な感じの写真を目指すのと対局の、この姿勢がなんかすごくカッコいい。そして「中身も外見も全部が老人にはなりたくないんです」って。

 写真美術館を出た後、そのまま夜ご飯の買い出しにジャスコへ。シネコンもくっついたもの凄く巨大なジャスコ。生鮮食品市場、産地直送!みたいな感じの店もあったけれど、そういうのはまあいいや普通のスーパーでって、やっぱり田舎の方へ旅行へ行くとジャスコのお世話になることになる。

 ジャスコで食品、飲料を買い込んだ後、夕暮れを眺めになんとか牧場へ。牧場からは境だかどこだかの街や海や山が見下ろせる。暮れ行く空に細い月が掛かり、背後にはすぐ大山が聳え、ちょっと遠くには暢気な牛たちも見えたりして、営業時間の終わって誰もいない牧場から一頻り景色を眺めた後、じゃあ帰ってご飯でも食べようなんて、僕たちは家路に着いた。

 女の子達が広いキッチンのカウンターに並んで夕飯の支度を始める。おしゃべりしながらテキパキと食材を切ったり洗ったりする彼女たちを、ものすごくありがとうと思いながら横目に眺め、烏合の衆になりそうなので僕は何も手伝わないまま薪ストーブの取り扱い説明書とカタログを読んでいた。それを読むまで僕は薪ストーブにサーモスタットが付いているなんて全然知らなかった。内部温度に応じて空気取り入れ口が開いたり閉じたりするらしい。燃焼方式も何個かあって、いろいろな知らない道具だとか、それぞれの製品にそれぞれの深い世界があるものだ。

 ビールで乾杯をして、野菜や肉やおにぎりやヤキソバを焼いて、マッコリやワインを飲んで食事をする。
 僕達はご飯を食べないと死んでしまう。それは時に悲劇的なことだし、時々めんどくさい。でも、逆に食事というイベントは命そのものに一番近いイベントで、食事には食事の時にしか発生しない雰囲気と会話というものがある。僕たちはご飯を一緒に食べる。

 夕飯の後、レーザーディスクのカラオケを引っ張り出したり、外で星を眺めたり。
 ギターがあったので、Kが少し歌ったりした。今から思えば僕も何か歌えば良かったけれど、なんとなく歌を歌う気分でもなかったので聞いてばかりいた。

 なんとなく、と書いたけれど、歌を歌う気分でなかった原因の半分は、たぶんこの夜に見た星空のせいだ。
 僕はこの夜、生まれてはじめて、天の川が分かるような、ぎっしりと星が埋め尽くす夜空を見た。
 それは結構な衝撃だった。
 もちろん、僕は街から見える星の数が実に限られていて、実際にはもっとたくさんの星が地球から見えることを知っていた。プラネタリウムにも何度も行ったことがあるし、写真家が撮った星空の写真だって、図鑑の夜空の写真だって何度も見たことがある。

 けれど、当然、見るというのはそういうことではないのだ。
 それが、たとえ遙か光年の彼方から到達した古い光であろうと、僕たちの視界が脳の組み立てた一つの現象に過ぎないと言われようと、「私」の「意識」がそれを体験することは、印刷やスクリーンに映った光点を眺めるのと全く違う次元のことだ。

 そして僕はこの体験にすっかりやられてしまった。
 地球の大気というフィルターがあるものの、ほぼダイレクトに宇宙へ向かって開かれた窓に。地球は本当に宇宙空間に浮かんでいる。今ならバックミンスター・フラーの発明した言葉「宇宙船地球号」に両手で賛成してもいい。僕が今見ているものは、宇宙船で地球の外に出て眺める宇宙と同じものだ。ただその宇宙船が地球という巨大なサイズだというにすぎない。僕は宇宙船の窓から外を眺めている。

 無数の星を見ていると、どうして自分がこの星にいるのか、という疑問が嫌でも頭をもたげてくる。それは、古くから多くの人々によって何度も問われた問題。どうして、あの星ではなくこの星に生まれたのか。

 この問いは、どうして私は私であり、あの人ではないのか、という問いにも似ている。哲学者の永井均さんは何かの本で、それが子供の頃から不思議で不思議で仕方なかったと書いていた。僕もときどきその不可思議に捕らわれることがある。

 その変な感覚は、はじめて人間の受精の仕組みを知ったときの感覚にも似ている。数億の精子の中から僕になる精子がうまく卵子に潜り込んだこと。隣にいた精子が受精していたら、僕は生まれないで、他の誰かが生まれていたって、本当に本当なんだろうか。遺伝子が違っても「僕」だったのではないか、とか色々考えた。この「僕」がそこに宿ることのはならないのだろうか、絶対に。
 もっと言えば、僕になる受精が行われたセックスではない、両親の別の回のセックスで受精が起こっていたら、やっぱり僕ではない誰かが生まれていたのだろうけれど、それが「僕」になることは本当になかったのだろうか。
 もっともっと言えば、両親がそれぞれ他のパートナーと結ばれていて、それぞれに子供を持っていた場合、その子供達は本当に「僕」ではあり得なかったのだろうか。
 もっともっともっと言えば、世界中のありとあらゆる時代のありとあらゆる場所のありとあらゆる人々のセックスが生み出す子供が「僕」ではないというのはどういうことなのだろう。それは誰なのだろう。他人とは誰なのだろう。僕は僕なのだけど、「僕」は誰なのだろう。

 銀河という圧倒的なスケール。さらにその銀河が無数に存在する宇宙の強烈なスケール。同時にそのスケールは僕たちの肉体を基準にしたものでしかないという事実。僕たちが銀河系100億個くらいの大きさの体を持つことがなかったとは誰にも断言できない。

 なんだろう、この世界というものは。
 この世界が何かというのは、本当は問い掛けが既に破綻しているのかもしれないけれど。だけど問わずにはいられない。

「私」の存在の比類なさ
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宇宙船地球号操縦マニュアル (ちくま学芸文庫)
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