阿闍梨と犬達

 阿闍梨阿闍梨とタイトルに書きながら、なかなか酒井大阿闍梨の千日回峰行の話に行き着きませんね(笑)

 そろそろ千日回峰行のことに少しは触れておかないと、この人は阿闍梨とか言いながら関係ない話ばかりして、一体何が言いたいの?ということになるかもしれないので、ここで簡単に千日回峰の紹介をしておきます。

 千日回峰は7年間掛けて行われる修行です。比叡山延暦寺で800年代半ば頃から行われているようです。記録にある限り、現在までこの行を修了した僧は47人。そのうち2度この行を終えた者は酒井大阿闍梨を含めて3人。
 名前から想像できるように、千日間山の中を歩くのですが、その総距離が地球一周に当たる4万キロらしいので、平均すると1日40キロで、だいたいフルマラソンと同じですね。深夜の山の中、半分駆けるようにして歩きます。ドキュメンタリーで見ると下りなんてすごい早さでした。

 もしかしたら、これだけなら大したことないように見えるかもしれません。7年ということは1000日といっても毎日ではないし、まあできるんじゃないのかな、と。

 もちろん、行は山を歩くだけでなく、もっと色々なことがあってそんなに簡単ではないのですが、加えて、この行は実は「途中で絶対にやめられない」行なのです。
 やめられない、というのがどういうことかというと、怪我して足が動かなくても行かなくてはならないということです。でも、動かないなら歩けないし仕方ないですよね。
 そういう時は自殺します。歩き続けるか、死ぬか、そのどちらかしか選択肢はありません。
 だから、この行を始めた僧は自殺用の短刀とロープを携行しています。着ている服は白い死装束です。

 実際に酒井阿闍梨は一度イノシシに崖から落とされて足を怪我しています。その時は自殺用の短刀で傷を開き、膿を出しながら一回20時間以上も掛けて回峰されたようです。

 それに、700日目の回峰を終了すると「堂入り」と呼ばれる行を行わねばなりません。
 堂入りは文字通り堂に籠もる修行です。
 9日間堂に籠もり、不眠不休で断食、さらには水すら飲まずひたすら10万回不動明王真言を唱え続けます。
 水すら飲まずなので、死ぬ可能性も十分にあって、堂入り前には家族や仲間とのお別れ儀式があるようです。
 酒井阿闍梨の体験された所では、2日目に唇が切れて来て、4日目には手に変な斑点が出たり腐臭がしはじめるとのこと。ただ意識は研ぎ澄まされて線香の灰が落ちる音まで聞こえるそうです。
 
 かつてゴータマ・シッダールタが否定したように、僕もこういった苦行には随分否定的でした。そんなことをして一体何になるのかと。ただのマゾヒスト的な自己満足じゃないかと。

 でも、最近苦行の持つ意味合いが少しだけ分かってきたような気がするのです。
 前回は映画「マトリックス」を引いて、「この世界は仮想世界だ、そして苦しみも痛みも仮想だ」と語られるシーンのことを書いて終わりました。
 マトリックスの中には「世界の仮想性」とでもいうようなものを表現するシーンが沢山あります。
 次回は、またマトリックスに戻って、別のとても強く印象に残った場面を紹介することからはじめます。

二千日回峰行―大阿闍梨・酒井雄哉の世界
リエーター情報なし
佼成出版社


一日一生 (朝日新書)
リエーター情報なし
朝日新聞出版