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刺青の蝶は温泉を飛べない

 先日の海水浴のことでもう一つ。

 ビーチの近くに温泉があったので、そこへ寄ってから帰ることになりました。ところが「私大丈夫かな」と言うその子の心配通り、温泉の入り口には「入れ墨の方のご入場はお断りしています」との看板がデカデカと置かれていた(ちなみに海水浴で足が汚れたままでないか入り口でチェックする男が立っていていけ好かないところだった)。

 それで結局女の子達はシャワーを浴びに行くことになり、男だけで温泉に入ることになった。
 なんとも理不尽なことだと思いながら。

 「入れ墨ではプールとか温泉に入れない」という決まり事はいつどのようにして成立したのでしょうか?
 ヤクザが来ないようにって本当なのかな。ヤクザがそんな変な決まり守るのかな。ヤクザじゃない僕でもそんな決まり守る気がしないけれど。

 入れ墨を入れた人は「他のお客様のご迷惑」になるのだろうか。
 見慣れないから。
 勝手に怖いから。
 理解できないから。
 気持ち悪いから。
 世界の中心にいるらしい「他のお客様」達にとって。

 小さな頃、僕は友達と時々銭湯へ行った。
 普通なら夕方に家へ帰らなければならないけれど、銭湯へ行くと言えば、そこから延長でお風呂で遊んでいられたからだ。夕飯の後一人でテレビを見る代わりに「あっちゃんと銭湯行ってくる」と言えば、それで夜のささやかな外出が始まる。

 その銭湯には片足だけ、足首から先のないおじいさんがいた。はじめてそのおじいさんを見たとき、僕はとても驚いたし、正直に言うと怖かった。
 滑りやすいお風呂の中、そのおじいさんは片足がないから這って移動していた。這うと、先のなくなった足首の切断面が良く見えたし、何より老人が裸で這っている姿はそれだけでも僕にとって非日常的な風景だった。

 何度か見かけるうちに、当然のように足のないおじいさんが這っている姿にも慣れた。最初はびっくりして楽しく遊ぶなんて気分じゃなかった僕たちも、這っているおじいさんの隣でキャッキャと遊ぶようになった。足がないことはその時の彼にとって日常であり、足のないおじいさんが這っている銭湯で遊ぶことは僕達の日常になった。そしてそれはその銭湯の優しい平和な日常だった。

 もしも、こうるさい過保護でバカな親がいて、銭湯で足のないおじいさんが這っていることにショックを受けている自分の子供を見たら、ひょっとしたらその親は銭湯の人に文句を言いに行くかもしれない。せっかくお風呂に来たのに子供がくつろげないとかなんとか。
 それがどれだけバカなことかは説明する間でもないだろう。
 ときどき「他のお客様」は迷惑しなくても良いことで迷惑する。そして、「他のお客様じゃないお客様」は「他のお客様の迷惑」に迷惑することになる。
 でも、世界の中心は「他のお客様」だから「他のお客様じゃないお客様」はすごすごと引っ込むしかない。

 僕が映画スターウォーズを好きだった理由の一つは、いろいろな星からやって来た、様々な姿の宇宙人がチームを組んで戦ったり、商売したり、バーで酒を飲んだりしていたからだ。
 この世界は僕たちが考えているよりもずっと広い。こんなままじゃ、宇宙人と遊べるようになるのもずっと先の話だろう。

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