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想像と解放と五月と理論

 想像力が権力を奪う

 と書かれた垂れ幕が校舎の屋上からぶら下がっている。校門は机と椅子と有針鉄線で閉鎖されている。
 村上龍原作の映画「69」は、高校生が好きな女の子の気を引くだけの為に学校をバリケード封鎖するという爽快な自伝的物語で、李相日が監督した。

 李相日監督は「スクラップヘブン」という映画も撮っている。
 この映画は、主演の加瀬亮オダギリジョーが、酷い目に合わされた人の復讐を代わりに実行するという話で、エスカレートして大変なことになる。
 話の後半、交番を襲撃して奪った拳銃を、オダギリが一人のホームレスにあげて、そのホームレスがからかってくる子供を撃ち殺してしまう、という事件が起こる。
 どうしてホームレスに拳銃を渡したのだ、と責める加瀬に、オダギリはこう答えた。

「ホームレスが拳銃を持ってるかもしれないと想像したら、どんなバカなガキだってホームレスをからかおうとか襲おうとか思わないんだよ」

 この物語の中でも「想像力」という言葉が何度も使われる。「想像力使ってるか」と何度も何度も問いかけてくる。

 想像力。

 物理学界のスーパースター、アインシュタインは、想像力が知識よりも大事だと言った。想像力には限界がないと。

 僕はこの程度の発言がどうして所謂「名言」として残されているのか理解できなかった。想像力が大事なのは明々白々なことだし、いちいち言われなくても、そんな当然のことを言って、それを名言だなんて、って思ってた。
 けれど、もしかしたら僕は想像力をその本来のパワーを持ってしては使っていないのかもしれないと、この頃思う。20世紀を代表する理論物理学者は「想像力には限界がない」と言ったのだ。僕が使っているのは、ある限定された範囲での何かであって、そんなものを彼は想像力だと呼ばないかもしれない。

 「69」という映画のタイトルは舞台である1969年から取られたものだ。
 1969年1月には東大安田講堂事件があった。当時は学生運動がピークに達していた。

 学生運動に関する知識に、僕が一番最初に触れたのは小学生の時だ。
 当時の僕は映画「ぼくらの七日間戦争」にすっかりやられていた。僕は”少年探偵団”を結成していて、そのメンバーで「エスケープして大人達をバカにしてやろう」というような話を毎日していた。
 映画に原作があることは知っていたけれど、原作は映画とはちょっと違う、ということなので、映画の方をこよなく愛していた僕はイメージを壊したくなくて長らく原作を避けていた。
 でも、そうは長くも避けていられない。なぜなら原作の方では「ぼくらの七日間戦争」を起点としてどんどん話が続いていたからだ。その続きをどうしても読みたくて、僕は結局原作を買った。

 原作は確かに映画と一味違った。
 そこには主人公達の親の世代が学生運動世代であったこと、その学生運動では学生が自治を行う「解放区」を作ろうとしていたこと等が語られていた。映画では単に厳しい校則と理不尽な大人達からエスケープすることしか描かれていなかったが、原作には「解放区」という言葉が何度も出てきた。

 僕はその「解放区」という言葉にすっかり参ってしまい。以後、僕たちは僕たちの解放区を、カルチェ・ラタンを作るのだと、友達にいつも通り口先ばかり雄弁に語った。

 大人になってから考えると、解放区という言葉は自己矛盾を抱えた言葉に見える。区になって囲われた瞬間、実は解放は解放でもなんでもなくなるんじゃないだろうか。区という檻の中での解放を解放と読み違えると、そこには滑稽さと悲劇が生まれるかもしれない。
 丁度、学生運動で無為に学生達が死んでいったように。
 丁度、僕たちが限定下での想像力を本当の想像力と履き違えて窮屈な生活を送るように。

 想像力が権力を奪う
 そして、本当の想像力は世界を変える。

69 sixty nine (文春文庫)
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文藝春秋


ぼくらの七日間戦争 (角川文庫)
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角川書店