僕らに流れるアジアの血について。

 アジアの風に吹かれて、ものすごい湿度の中、今日も僕達は自転車であの坂を下った。
 ものすごいスピードで。

 この間のコンサートで、小沢健二は自転車の話をしていた。

 安全の為にって名目で何でもかんでも禁止してしまうこの国で、ロックを解除してからでないとポットからお湯も出ないようなこの国で、自転車に乗ると人は危険を顧みなくなると。

 それは僕達の持つアジアっぽさだ。

「タイでさあ、バイク借りたらタイヤ曲がってて、それで曲がってるって言ったら店のおっさんが道端にあったでかい石で叩いて真っ直ぐっぽくして、それで乗れって、仕方ないからそれ乗ったよ、当然ノーヘルで、みんな運転めちゃくちゃだし」とか、そういう感じのアジアっぽさ。大らかさ、いい加減さ。まあ死ぬときは死ぬんだからって感じの。

 自転車と言ったら勝手に中国なイメージがあったけれど、日本だって似たようなものだ。特に京都は自転車だらけかもしれない。百万遍の交差点なんて歩行者はあんまりいなくて自転車ばかりが蠢いている。

 オザケンがこの自転車の話をする前からも、日本にアジアっぽい香りを感じることは時々あった。そりゃここはアジアなんだから当然だと言えば当然なんだけど、混沌とした活力の塊としてのアジアは、日本的なもので覆われて普段は見え難い。
 僕達は「キチンとした几帳面で勤勉な日本人」という、たぶん明治政府が作ったイメージをどうしてか踏襲する。我慢強くて苦労が好きで過労死も自殺もする日本人、というメディアが垂れ流すイメージになんとなく着いていってしまったりする。そうして、堅苦しい生き方が日本人っぽいし、ここは日本だしこれで仕方ないや、とか言って、どうにも理不尽なことにも耐えて、それを自虐的なネタにして友達にグチったりネットに書き込んだり。そうやって諦めたりする。実はそれが一番楽で快適なことなのかもしれない。それなら別にそれでもいいけど。何が良いことなのかは僕には分からないし、それは一人一人が決めることだから、何にも口出しはできない。

 ただ、僕達の中には活気に満ちたアジアの血が、本当は深く深く流れている。

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