働くことが厳しくなくても良いのではないかと思うこと

 しばらく前の話だけど、「日本の労働環境、あるいは職場って変じゃない?」という話に興味を持っている人の間でちょっと有名になった書き込みがあります。

 その人はある会社の事務みたいなところに就職したのですが、表計算ソフトのスキルが高かったので自分の仕事がほとんど自動化できることに気付きました。そしてマクロを組んであっさりと仕事を終わらせた。
 これは会社としては喜ぶべきことだし、もしかしたら経営者は喜んだかもしれない。でも部署の上司や同僚の反応は違った。彼らは「それはずるい」「他の人はみんなちゃんと手で入力している」というようなことを言いその人を凶弾したらしい。

 ここまでバカなことが起こるのは少数の会社で少数の部署の話だと思う。
 だけど、これを読んだとき僕は友達のSのことを思い出した。彼女は「私ってなんでこんなにプライベート上手く行かないんだろう、仕事は限界感じたことないし余裕なのに」と豪語するインハウスのデザイナーで、実際に他の働く友人達と比べてもかなりゆとりある生活をしているように見えた。
 ただ、僕は彼女が「私、頑張ってテキパキ仕事したら、どうやらみんなには早すぎるように見えるらしく、サボってると思われるから、だからなるべくわざとゆっくり仕事してるの」と言っていたことを忘れない。

 昨日、ある経営者がこういうツイートをしていた。「私の場合、集中して働くと、夕方にはエネルギーが切れてぐったりと動けなくなってくる。私は特別体力がないのだろうか。緊急時に時々なら理解できるが、日常的に残業して夜遅くまで働いている人達を見ていると、昼間サボっていたから夜にああして働けるのだとしか思えない」

 これは会社で働いたことのない僕が言うと怒る人もいるかもしれないけれど、僕が言っているのではありません。その百戦錬磨の経営者の人です。本当は時間内に片付かない無理難題を押しつけられたりしていて限界を越えて働いているのだと思う。あしからず。

 昼間サボって夜に頑張り、「昨日徹夜で寝てない」と頑張った僕私をアピールする悪い癖は働く人だけでなく学生の間にも多く見られる。実際に僕も人のことを言えなかった。
 これを「時間にメリハリのない不毛な生活」と見るか「限界までサボり深夜の追い込みパワーで仕事を仕上げる生活を楽しむ知恵」と呼ぶかは意見の分かれるところかもしれない。
 どちらにしても、人が一日に使用できる集中力には限界があるし、むやみに長い間働けば良いというわけでもない筈だ。

 僕がこういう風に日本の会社に対して批判的な意見を取り上げるのは、自分ならそんなところで働きたくないからで、半分は自分の為に書いている。日本で働くという選択肢を取るなら、その時はみんなが働き易い環境で働いていて、誰も「社会というのは厳しいものだ」とか言わない社会で働きたい。みんなが優しくなり「社会というのは優しいものだ」ということを言う社会だって有りだと僕は思うのです。

 こういうことを書くと「あまちゃんだ」「理想論だ」みたいな批判が飛んでくるのですが、だから僕はどうしてみんながそんなに厳しくしたがるのか、理想的なのを目指さないのか、ということを問うているわけです。
 そして、最近そう思い始めているのですが、日本では多くの人が「厳しい」「苦しい」を好むのかもしれないし、そうだったら別にこの国で暮らさなくても良いなと思っています。みんなが好きでやっていることだっったらそれはそれで僕が口出しすることじゃない。

 僕は昔やっていたアルバイトで、「ここで社員として働きたい」と思ったことが一度もない。それどころか「どうしてこの人達はこんなところで社員として働いているのだろう」といつも思っていた。それはもう本当に過酷な生活に見えたから。
 大抵の場合、その過酷さは「人が足りていない」ことに由来するようだった。なのに不思議なことに働きたくても働くところのない人達もたくさんいるということだ。

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