土と桜

 冬が終わり、春が本格的に始まるまでの短い間、僕はたくさんの人に様々な意味合いでさようならを言った。ある時にはそれは「また今度」であり、ある時には「永久にバイバイ」だった。それほど遠くはない場所へ引っ越した人も、海外へ引っ越した人もいるし、物理的な距離を超えた遠くへ行ってしまった人もいる。

 彼が死んでしまったという知らせを聞いたとき、僕は呑気に定食屋の列に並んで遅めの昼ご飯を食べようとしていた。転んで骨にひびが入ったという祖母を見舞いに病院を訪ねた帰りだった。彼女はひびこそ入っているものの88歳にしては元気そのものだった。久しぶりに祖母と談笑して幾分心が和らいでいるところだった。

 彼がどうして死を選んだのか、僕には大まかな理由しか分からない。ただ、彼は自動車の排気ガスを車内に引き込むという方法で死ぬことを選択した。文字通り人生で最後、エンジンを掛けるとき、フロントガラスから見えた空はどんな風だったのだろう。それとも空なんて見えない所だったのだろうか。

 出席すると傷つく人と、出席しないと傷つく人がいて、僕は通夜にも葬式にも出ないことを選んだ。どうしてその人達が僕の挙動によって傷つくのか、これも一部分は僕の知るところであり、大部分は僕の知らないことだった。僕はある人を信頼し、その人の望みに従って行動することを選んだ。

 もう長い間会っていなくて、それから葬式にも出ていないせいかもしれないけれど、僕はそれほどのショックを感じなかった。代わりにそこには大きな違和感があった。ちょうど村上春樹の小説の中で青豆が1984年から1Q84年へ行ってしまったみたいに。ほとんどの部分は今までと同じだけど、でもいくつかの部分が決定的に異なっている世界。それは単に彼のいる世界、いない世界ということではなかった。例えば、物に出来る影の長さと濃さも今までとは少し違うかもしれない。


 悲しみと違和感の他に僕が感じたものは、責任だった。もちろん普通に考えて僕には何の責任もない。物事は僕とは関係のないことで、そして知らない場所で全ては進行した。だけど、それでも思うのは、僕にだってどうにか首を突っ込んでお節介をすることはできた、ということだった。あちらこちらとぶつかり跳ね返りながら、そのランダムに変化するベクトルは自殺という結果に到達した。複雑系において初期値の僅かな差が出力に莫大な差異を生み出すように、あるいは僕が挨拶の電話をどこかでしていただけでも結果は量り知れず異なっていたかもしれない。思い立った瞬間はなかったわけではなく、意味のない躊躇いによって僕は電話をしなかった。物事に躊躇うとき、僕はどこかでそれを行った場合のリスクをカウントしているわけだけど、実際のところそれを行わないことのリスクの方がいつも大きいのかもしれない。