世界を開きクマを助ける。


 今日昼食の時にTEDを見ていたら、インドで小熊を残酷な方法で訓練してダンスさせるという伝統をやめさせた男の人の話が出てきました。昨日書いたことに関連しているのでリンクしておきます。

 Kartick Satyanarayan: How we rescued the "dancing" bears

 そのコミュニティではクマのダンスを観光客に見せるなどして生計を立てていたのですが、彼は他の仕事だってあることを教え、あと教育を受けていなかった子供達に教育の機会を与えます。
 そして村人たちはクマに依存した生活から抜け出した。

 母クマを殺して、捕まえた子グマに口輪をハメて残酷に訓練し、それで覚えさせたダンスを客に見せるという代々続く文化と、そういうことをやめて普通に働くのと、どちらが正しいということは誰にも言えない。
 だけど、単に僕はクマをイジメない方が好きだし、立場を問われるならそっちへ付くだろう。

 Kartick Satyanarayanがしたことのポイントはこの閉じられたコミュニティを開いたということだと思う。彼はクマのダンス以外の仕事、つまり社会の他の部分にコミットした仕事を彼らに教えた。子供には教育を。それらは今まで閉じていたコミュニティを開き、広い世界と繋げようという動きだ。

 グローバリゼーションに伴なうネガティブな面を挙げて、別にみんな一緒くたの世界になんてなる必要ない、地域地域に根ざしたモノを守ることが大事だ、という声もたくさん聞かれるけれど、僕はやっぱり世界中がつながっている方が好ましいと思う。
 国や文化圏を違えて、そして差異を楽しむというのはいつか消えてしまうだろう。世界中がフラットに画一化されて、あらゆる人種があらゆる地域で混ざり合って、言語は統一され、残る差異は気候と歴史に関するものだけとなり、交通網も発達して、いま「海外旅行だ」と張り切っているものが日常になり、外国語を学ぶ楽しみもなくなり、それをつまらないと思う人もたくさん現れるだろう。僕たちは一つになりたいけれど違いも楽しみたいと思っている。世界が一つになる過程を楽しみたいと思っている。だから世界が一つになったなら、それはある意味クリアでゲームオーバーなのだ。
 けれど、心配はいらない。それはファーストステージのクリアであって、その時僕たちは異文化を他の星に求めるようになるだろう。この広い宇宙に知的生命体が僕たちだけだなんて本気で思えない。