『ぼくらは地底王国探検隊』


 春のはじまり、3月24日に佐藤真佐美さんは亡くなったということだ。
 1、2ヶ月ほど前、ふと昔読んだ『ぼくらは地底王国探検隊』という本のことを思い出して検索してみたところ、作者である佐藤さんが今年亡くなったという記事を見付けた。

 この本は、僕が生まれてはじめて読んだ長い小説だった。長いといっても児童文学なので、大人ならさっと読めるような短さだ。でも、それまでイソップ童話だとか日本昔話だとかしか読んだ事のなかった当時の僕にとって、それは長い、たっぷりとした物語だった。まだ父母妹と僕が一緒に和室で寝ていて、一番端の僕は目の前がすぐ床の間だった。本は布団の中で寝ながら、枕元のスタンドで読んだ。

 今から思えば、この読書体験は僕のその後を決定付けた要素でもある。あまりに面白かったので、それから沢山本を読むようになった。そしてテイストとしてはやっぱり探検や冒険を好んだ。

 昨日すこし自分のルーツを見直してみようと思い、図書館へ行って、『ぼくらは地底王国探検隊』と、その続編である『ぼくらは知床岬探検隊』を借りてきました。続編の存在は最近まで全く知らなかった。挿絵が変なのと、あと内容をざっと見たところそれほど面白くもなさそうなので読まないかもしれません。

 地底王国探検隊の方は早速読んでみました。大きな字で200ページもないのでやっぱり今読むとあっさり読めます。20年ぶりくらいで読んだのですが、流石に僕も大人になっていて、それほど面白いとは言えません。

 ただ、読んでいて、今の自分が本を通じ20年前の自分に何かを送ったようなおかしな気持ちになりました。そして20年前の僕はそれをちゃんと受け取っていたような気がします。変な話だけど。

 発見したことが2つあります。

 1つ目は、この本は読書に導いただけでなく、僕の好みを完全に方向付けたものだということです。実は今長い小説を書いているのですが、それは「この物語を大人向けに書き直したものだ」と発表した後で指摘されてもイエスというしかないようなものだと思いました。読み返すまで全くそんなことを意識していなかったので、とてもびっくりしました。

 2つ目は、大人になってから知ったと思っていた事のいくつかを、僕は既にこの本の中で読んでいた、ということです。たとえば物語の舞台が富士山麓なので、中に富士講という宗教のことも説明付きで出てきます。だから僕は10歳くらいのときに富士講の存在を知っているわけですが、そんなことすっかり忘れていて、大学院生になってから読んだ本でその知識を仕入れたつもりになっていた。
 あと、本栖湖へ行ったときに「本栖湖へよってけし」という看板が出ていて、すごく変な方言だなと思っていたのですが、本の中で登場人物が既にその方言を使っていました。
 昔知っていたことをすっかり忘れて、それでまたそれを体験したときに驚くというのは、まったくもって僕達の人生そのものみたいだなと思う。
 そう、僕達は知っています。
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