カラフルな外套を着た二人。

 少し強めの雨が台風に変わったという話だ。僕の窓のすぐ外では、4階の高さに張っている細くてしなやかな木々の枝がザワリザワリと、いかにも嵐に似た音を立てて、それで木々という生き物がまるで動物のように見える。キリンを庭に飼ったらこんな気分なのだろうな。風に揺れること、意思を持って動くことはどれくらい違うことなのだろう。昼間に音の壁ができるくらいに鳴く沢山の蝉達はそれでも枝にくっついているのだろうか。


 夕方、雨が止んでいたので、とても久しぶりに図書館へ行った。平安神宮の前を通るとやっぱり沢山の観光客がいて、女の子のグループは飛び跳ねた瞬間をシャッターに収めようとタイミングを合わせて高く飛んだ。

 借りたかった本を借りて、本をいくつか物色しているとすぐに閉館時間が来て、最後までいた多くの人々に紛れて外へ出ると雨が降っていた。傘を持つ人々は立ち去り、持たない人々は屋根の下で空を見上げていて、僕は空を見上げる人々の方に加わった。少しすると司書の人が傘をいくつか持って現れて、よければどうぞ、次回いらしたときに返してくださればいいですから、と親切を言って下さるので喜んで借りる。半分くらいの人は薦められても、いいです、と言って断っていた。返すのが面倒なのだろうな。それに空は比較的明るくて雨はすぐに止むだろうし。

 傘を差して自転車に乗り、丸太町を通るとき、なんとなくカイラスレストランへ行ってみようと思う。小沢健二が「うさぎ」を連載している「子どもと昔話」を前から読みに来ようと思っていたからだ。いつも誰かと一緒だったので、本があることは知っていたけれど読む機会がなかった。

 隣の席では女の子2人が、ときどきだけ喋って、後はお互いに自分の読書に没頭していた。僕は他ではまず食べることがないのに、どうしてかここでは注文してしまう御萩を食べながら、お茶を飲んで「うさぎ」を読んだ。

 7話の途中まで読んでお店を出て、それからガケ書房へ初めて行ってみる。ガケ書房の前はもう何度も何度も通っているけれど、僕はあまりこだわり系文化系の本屋が好きではないので一度も入った事がなかった。ケイブンシャにだって単に近いから行くだけで、本当はジュンク堂みたいな大型書店が在ったほうがずっと嬉しい。本屋さんなんて大きければ大きいほどいいし、出版社や作者や分野ごとにさえ並べておいてくれれば、気の利いたポップなんてなくても、セレクトコーナーなんてなくても自分で自分の本くらい選ぶ。

 雨の中、店の前に自転車を止めて、お店に入ってざっと店内を見ると、一番目立つところにある平台に「今のおすすめ」的な感じで小沢健二の「企業的な社会、セラピー的な社会」が置かれていてびっくりする。

 僕はこんな本が売られているなんて全然知らなかったので、表紙に小沢健二と書いてあっても一瞬ピンと来なかった。そして、中を見てみるとこれはさっきまで読んでいた「うさぎ」の本編では語られていない部分ということだった。
 全く驚いたことに。
 こういう驚きは他の人とは共有されにくい。
 主観的にはなんとなくふらっと「うさぎ」を読みに行って、その帰りに今まで見向きもしなかった本屋になんとなく行ってみようという気になって、実際に行ってみたらそのお店が今まで読んでいた「うさぎ」の番外編みたいなのをプッシュしていた、というのは結構な驚きなんだけれど、人に言っても「へー、そうなんだ」で済まされるのは想像に難くない。

 もちろん僕はその本を買った。その本はあまりきれいに製本された本ではなくて、ISBNもなかった。何冊かの本を立ち読みして、そこから多くを学んで、やっぱりお店でもなんでも毛嫌いするのは良くないなあと思う。