apprehension.

 自転車の近くにセミが落ちて死んでいた。
 それを見たとき、僕は自分の死生観が去年のそれとは大幅に異なったものになっていることを実感した。

 頭がどうかしたのではないかと思う人もいると思うけれど、僕はもうほとんど完全に輪廻転生を信じているみたいです。ほとんど、というのはちょっと説明が複雑で、僕は生き物が生まれ変わるということを、そのまま最も単純な意味で受け止めているわけではありません。もっと時間や空間の概念を取り払った上での話なのですが、それは今の僕にはうまく記述することができない。

 セミの死骸はもう乗り捨てられた車みたいにしか見えなかった。それは宿っていた何かがエントロピーの増大に逆らって作り上げた奇跡的な造形と機能だった。何かはどこかへ行ったし、行かないし、私だしあなただし彼だし彼女だし彼らでありこれであれなのだろうと思う。まるでお経みたいだけれど。そういえば僕は高校生のときにどうしてか般若心経を諳んじていて、そういう影響で今こういう一文を書いたのかもしれない。般若心経は音として非常に覚え易く作られていて、口にするのも結構心地良かった。
 仏教の経典の記述が、あの頃は無理矢理な逆説を書いておけば有難く見えるとでも思ってるだけではないかと見えたけれど、ここ数年はどうしてもあのような書き方でしか説明できなかったのだなと素直に思う。

 2009年7月30日木曜日。
 Pがなんと日曜の朝のフライトで帰るという。フィンランドでは新学期が9月に始まるらしい。僕はてっきりPはまだ暫くいると思っていたので吃驚する。明後日Mがフランスへ帰る前にインターンをするだとかで東京へ発ち、その次の日にPがいなくなるということだ。Pは同じ学校の女の子が10月から僕と入れ替わりでここへ来るよ、と言っていたけれど、そういうのって本当に不思議な気分だ。世界は確実に狭くなっていく。僕は彼ら彼女らが世界のどこへ行っても、今と同じようにfacebookmixiとサービスを統合してほしい)やメールやskypeで連絡をとることができ、新しくやって来る留学生を通じてもっと体温の高い関係も保つことができる。そしてやがてまたどこかで再会するのだろう。

 夜、かねてよりM君が飲みに行きたいと言ってくれていたので、KとI君と飲みに行くことにしていたら、I君は電話が繋がらない。後で向こうから掛ってきて、ごめん寝てたとのこと。昼夜の逆転している人だから今更驚かない。
 Kがこんなに日本語を話せるとは知らなかった。大抵のシンガポール人は生まれつき中国語も英語もできて、それって世界の半分の人とは話せるってことだからいいなと思う。M君は最近仲良くなった日本人だけど、春から九州とのこと。ラティーノで食べたり飲んだりしたあと、下鴨神社を散歩して帰る。



 

 
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