みんなでお金の話をしよう、とマイキーは嬉しそうに言った。

 そして僕はお金の話をしよう。

 子供の頃はお金のことを何も知らなかった。学校ではお金のことを教えてはくれないし、周りの人々もお金は大事なものだから大事に使って貯金もしなさい、としか言わないし、お金とはそんなものだと思っていた。僕は自分がお金のことを知らないということすら知らなかったので、特にお金に関する本を読むこともなかった。友達が「1億円あったら銀行に預けて利息だけで一生食べていける」と子供らしいことを僕に教えてくれたときも、漠然とそれはそうだろうけれどだからなんだ、と思っただけだった。

 そして「お金は汚い」という概念を自然に獲得していく。

 お小遣いを別にして当時のお金らしいお金との接点はお年玉に限られていた。僕は半分くらい使って好きなものを買って、残りは親の管理下で貯金していた。中学生くらいのときに随分高価な天体望遠鏡をえいやと買ってしまい、その貯金はすっかり果てたのだと思っていたら、大人になって子供預金に残高があったことが分かって、それは予期せぬ助けとなり僕は急場を凌ぐことができた。

 さて、僕が始めて「こんなに無知ではやばい」と思ったのは経済の本をたまたま読んでいて出くわした「銀行にお金を預けるというのは間違った考え方で、あれって預けてるんじゃなくて貸してるんです」というような文章のお陰だった。このときは本当にびっくりして目から鱗が落ちた。

 それから、株のことを少しだけ勉強したり(ズッコケ3人組シリーズの株式会社の話を小学生のとき読んでいたので概念はほとんど全部カバーできていた)、やっぱり投資や投機でもうけるのはなんかおかしいのではないかと考えたり、紆余曲折を経て今はベーシックインカムという考え方が象徴するものに随分近い考えを持っています。
 ベーシックインカムについては様々な文章がありますが、最近書かれたホリエモンのブログによくまとめられているのでリンクを張っておきます。

 働かなくてもいいんじゃないか?
 続・働かなくてもいいんじゃないか?

 ベーシックインカムというのは生活する最低限のお金を全員に無条件で配るというものです。働きたくない人は働かなくても暮らしていけるようになる。このブログでも何度か書いているけれど、今世界中に溢れているほとんどの労働は全くの無駄で、楽しみの為にやっているならいいけれど、やりたくもないのに生きるためには働かなくてはならないのだと思い込んで無駄な仕事を嫌々やっているという訳の分からないことになっている可能性がとても大きくて、じゃあそんなのもうやめようという話です。働きたい人が働いて、働きたくない人は働かない社会を作っても大丈夫なくらいに科学は発達しました。

 僕がこれに諸手を上げて賛同できないのは、やっぱり社会のポテンシャルが下がってしまう可能性があると思うからです。実験してみないことには分からない。だからとりあえずちょっと実験してみればいいなと思います。当然、社会は大混乱するかもしれませんが、別に混乱しても良いのではないかと思う。

 ベーシックインカムのことを聞くたびに思い出す村がある。
 昔、造形芸大で見たビデオなんだけれど、その村には縄を作る天才青年がいて、彼が作る縄の収入で村が養われている。他の人はなんかぼーっとして暮らしている。それはなんかありなんじゃないかと僕はそのとき思った。青年は縄を作る才能があり、その仕事が好きで、それでみんなを養うことに誇りを持っていて、そして村人は彼に感謝をして暢気に暮らす。