動物たちは水辺に集まりそれぞれ水を飲んだ。

 水
 と書かれた看板を草の上に寝かし、撮った写真をそのまま載せた野外イベントのフライヤーを昔部屋の壁に貼っていた。僕はそのイベントには行かなかったが、その写真は昔流行ったロモで撮ったみたいな写真で、完璧な構図だった。僕はその部屋には5年間住んでいたが、そのフライヤーは5年間ずっとそこに貼ったままだったと思う。

 先日、またI君とやっぱり起業というのも面白そうだなという話をしていて、では僕達はどういった会社なら作ってみたいのだろうと議論していたら、サイエンスに関係していて人の役に立ち未来を切り開くもの、という当然と言えば当然の結論に達した。もうテクノロジーは十分に見えるのにどうしてか解決されない世界のそこここにある問題を解決して、かつそこから収益を得る。たとえば水不足は未だに深刻な問題だけれど、近年効率の良い海水の淡水化装置もあることだし、うまいビジネスモデルさえあればパイプラインと淡水化装置の組み合わせで収益を上げつつ水のインフラを世界の到る所に確立できるはずだ。

 このとき「じゃあ例えばどんな事業だか例を挙げてみてよ」ということででまかせに水のインフラの話をしたのだけど、これは僕の一番の目的とは大きくベクトルが異なる物の、それでもそんなに悪い考えでもないように見えた。

 実は先月、知人のいる会社でカンボジアに井戸を掘る為の募金箱の製作を募っていて変なのを一個作ったのですが、そのとき水というテーマは少しく僕の頭に入ってきたのだと思う。

 僕は水がとても好きだ。飲むのも遊ぶのも見るのも聞くのも。子供の頃、夏の暑い日に水道で手を洗っていて急にこの冷たい謎の物体が手に触れる喜びを自分でかみ締めて嬉しくて仕方なくなったことがある。プールで泳いでいてもそうだった。水が体の汚れを洗い流せることがまるで奇跡みたいだとずっと思っていた。

 そして途端に水に関することがバーっと頭にフラッシュバックする。そういえば何年か前の世界水フォーラムは京都で開催されたはずだ。僕はそのとき地下鉄に乗ってたくさんの出席者を「なんだろうこの人々は」と思って眺めていた。今年の世界水フォーラムイスタンブールで開かれたらしい。イスタンブール。トルコという国は僕にとってもはや他所の国ではない。トルコ人のOと3年も一緒にいたし、彼が帰るこの秋、入れ替わりにまたトルコから大学にRがやって来る。

 水問題のことを少し調べていて、「バーチャルウォーター」という言葉の存在を知りました。ある食べ物を輸入したとして、その食べ物を作るのに必要な水の量をバーチャルウォーターの量としているようです。世界の利用可能な水のうち70パーセントは農業に使われているわけですが、それからも分かるように農作物の生産には莫大な水が必要で、算出されたバーチャルウォーターの量というのはちょっと吃驚するものです。たとえば牛丼一杯(牛肉、米、タマネギ?)を作るのに必要な水の量は約2000リットル。2005年度、日本は800億立方メートルものバーチャルウォーターを輸入したことになるらしいです。