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 「日本人は英語ができない」というのは、もう常識みたいに思われているけれど、別に日本人だけではなくて英語から遠い言語圏の人はそんなにペラペラ英語を話せないと思う。だから僕はニュアンスによっては、この「日本人は英語ができない」というテーゼそのものに対して素直には賛同し兼ねるけれど、実際のところ多くの日本人が英語をペラペラと話すわけではないので、まあ日本人は英語ができないということを真であるとしようと思う。

 日本人が英語をあまり話せない理由は「受験勉強に偏った英語教育が悪いから」という教育「方法」を批判するものと「中高6年英語を習うといっても週2,3コマだけなわけだから絶対的に勉強時間が不足している」という勉強「時間」を批判するも、それから「日本語の言語構造は英語のそれに大きく異なっている上に、発話の際もちいる音域も異なっている」という日本人の「能力」を指摘するものの3つに大別されると思う。

 どれもある程度は正しいのだろう。だけど、英語を自由に話す日本人も掃いて捨てるほどいるわけで、その気になっても日本人は英語を話せないというわけではない。つまり、日本の教育政策上「英語を操れるようにする」ということがそんなに優先されて来なかったというのは一つの結論として正しいと思う。何が原因かに関係なく改善の余地はいくらでもあり、どこをどのように直せば良いのかは実際に何度も繰り返し指摘されてきた。
 政府が改善を行わなかった理由は「コストが掛って面倒だった」か「やりたくなかった」のどちらかしかない。そしてちょっと怖い話だけど、やりたくなかったのだろうというか国民が自由に英語を操ると困るのだろうという「陰謀説」が時々語られる。

 最近グーグル八分にされているという藤沢数希さんのブログ「金融日記」の記事がこの陰謀論の話でした。

 文部省は日本人の英語不能化政策の解除をしてみてはどうだろうか?

 この記事のほとんど全部を引用すると、
(以下引用)___________

その点、独裁制の政治と言うのは非常に分かりやすい。
北朝鮮の権力者は学校教育や新聞やテレビを使って毎日国民を洗脳しています。
外から見れば明明白白なのですが、一部の権力者は国民を支配して搾取するためにこのようなことをしているわけです。
旧東ドイツの官僚は豊かな西側に逃げ出そうとする国民を縛り続けて支配するためにベルリンの壁を作りました。
大日本帝国では軍のエリートが「天皇陛下のために死ぬことは尊いこと」と国民を洗脳して、無実の若者を人間ミサイルにしたりやりたい放題でした。
独裁政治では、権力者が国民を洗脳したり暴力で強制したりしていかに都合よく支配するかと言うその一点において全く曇りがない。
本当に分かりやすい。

さて、前置きは長くなりましたが、僕はそろそろ文部省は日本人の英語無能化政策を解除する時ではないかと思っています。
支配する側の人間から見ると英語教育と言うのはやっかいなものです。
もし国民が自由に英語を喋れるようなったら世界最高税率所得税法人税を逃れるために優秀な日本人や日本の企業がどんどん海外に流出してしまうかもしれないからです。
さりとて欧米の技術を取り入れて国を発展させるためには国民に英語教育をせざるを得ないわけです。
日本の支配者は国民を縛りつけながら、且つ海外からの情報をどんどん収集したかったのです。

そこで、日本の優秀な官僚はこのふたつの相反する要求を満たすために世界にも例のない非常にすぐれた英語の教育システムを作り出したのです。

英文を日本語に機械的に置き換える非常に特殊な技巧を英語の義務教育の中心に添えました。
このような訓練を中学生の若い脳にくり返しくり返し強制することにより、見事に国民の英語のコミュニケーション能力を不能化することに成功したのです。
いちいち英語を前に行ったり後ろに行ったりしながら日本語に置き換えるために、この方法を教育された人は全く英語が話せなくなってしまうのです。
これは日本国の支配者にとっては非常に素晴らしいことでした。
英語のコミュニケーションができなくなるので日本人が海外に逃亡することを暴力を使わずに防ぐことができたからです。

そしてこの英語教育のすごいところは日本人は英語でコミュニケーションをとることができなくなるのに、英語の学術論文などは理解できるようになることです。

日本の官僚は日本人の英語のコミュニケーション能力を不能化させながらも、膨大な英語文献へのアクセスを可能としたのです。

この英語教育は戦後の日本の高度経済成長のカナメになりました。
世界中から英語の情報が日本に入ってくるのに、日本人は英語を読むことはできてもしゃべったり書いたりすることができないので、日本から海外へ情報が流出することがほとんど起きなかったのです。
この一方通行の情報の流れが戦後の日本の急速な工業化を可能にしたのです。

___________(引用終わり)

 陰謀説を裏付ける信頼性の高い資料があるのかどうかとか、そういったことを僕は何も知らないので、この話が本当か嘘かは断言できない。でも流れとしてはそれなりに筋が通っていなくも無いように思うし、陰謀論ではない別の視点から論じた物でやはり結論が「会話は別にいいから読み書きを重視」となっているものをいくつか読んだことがある。

 考えてみれば、日本人が「読めるけれど話せない」言葉は英語が最初ではない。僕達は「漢文」という「中国語の文章をなんとか日本語に読み下す方法。でも中国語ではないし日本語でもない」というちょっと良く分からない謎のジャンルを持っている。そして平仮名カタカナの発明以後ですら長い間「公式な」文章は漢文で書かれていた。日本語が書き言葉と話言葉を持つのは漢文の影響が大きいと思うけれど、この二つが(一応)統合されたのは明治時代、坪内逍遥の登場を待たねばならなかった。
 自国の言葉をそのまま書き下す文字を発明したのに、尚何百年も漢文に拘ったのは病的だと思う。平安のアバンギャルド歌人藤原定家ですら日記は漢文で付けている(お陰で僕は彼の明月記を読むことができない)。紀貫之のことを僕達は子供の頃に「男なのに女の振りをして平仮名で書いた」と習うので、なんだか変な人のように思い勝ちだけど、普通に考えてみれば平仮名で書くのは当たり前の感覚で、わざわざ漢文を使っている人の方が異常だったと思う。

 僕はこの漢文という謎の言語が「国家の陰謀」で作られたとは到底思えないし、そういうことを言う人もいないと思う。漢文は「中国語をまるまる勉強するのは大変だけど、なんかこうやったら意外と読めちゃう裏技」として発明され普及した筈だ。なぜなら当時日本から中国へ渡るのは命がけだったから、中国語ができるようになったから中国に住もうなんて簡単に考える人はいなかったと思う。

 そして、このときの「中国語がとりあえず読めちゃう裏技」と同じノリで作られたのが日本の英語教育法のベースであって、僕にはもともとそこには悪意なんて無かったと思うのです。そしてこれが長々と改善されなかったのも、漢文を長々と使い続けたのと同じで、なんとなく変えられない日本人の気質なのではないかと思う。

 実際に一部の英語教育者は先進的な方法で英語を生徒に教えて居て、たとえば僕の高校3年のときの英語の先生は無茶苦茶だった。一応進学校を謳った高校なのに「文法とか間違っててもいいからぱっと思ったことをバーと兎に角書いて喋って」といった感じで、家はカギを掛けなくて外人とか猫が勝手に出入りしているという変わった年配の先生だったから雑談も面白かったし、僕達は「面白いけれどこんなことでいいのだろうか」と思いながら机に座っていた。今から思えばい授業だったと思う。
 他にも英会話学校だって山ほどあるし、実用的な英語を教えている人はいくらでもいて、でもその人たちに何かの制裁が加えられているようには見えない。だから、政府の陰謀というのではなくて、単に漢文のときと同じように日本人は日本人らしくやっているだけなのではないだろうか。もちろん陰謀に見えないような陰謀かもしれないし、結局のところは資料がないと何も語れないけれど。
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