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 自分のブログ内で2005年の8月の日記をはずみでクリックしてしまって、僕は4年前の自分が書いた日記をいくつか読む羽目になり、色々と失ったものや得たものについて考えた。つまり不思議だとしか言いようのないこの世界について。


 一つ引用します。
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 15日の夜、僕たちは出町柳の中州でパーティーをした。

 この日、僕は夕方までレポートに追われていて、結局、用意を始めたのは5時半くらいからで、とても慌ただしい不完全なものになった。
 おまけに、この日は雨も降ったし雷も鳴った。友達もお盆であまりたくさんはこれないようだった。でも、結果的にはなかなかのパーティーができたと思う。楽しかった。

 この日のことを、順を追って書いてみたい。

 5時半くらいに松田君の(というかサクラさんの)サーフに、松田君とタックンと今山君と僕で乗り込み大学を出発して、今山君のアパートで彼のプロジェクターや何かを積み込む。それから、僕のアパートに寄って、発電機やスピーカーやミキサーなんかを積み込んで、この段階で車の中は荷物だらけになった。
 それから、コーナンへ行って、20リットルのガソリン携行缶と虫除けスプレーと水10リットルを買い、ガソリンスタンドでガソリンを15リットル買う。

 大学を出る頃から、松田君はしきりに「ヤフーの天気予報では雨が降るみたいだ」と言っていて、僕も確かに雲行きは怪しいなと思っていたけれど、雨が降りそうだから中止するというのは随分と不完全燃焼な感じになるので、「降らないよ」と言い切っていた。
 でも、天気予報の通り、雨は降り出した。最初はほんのポツポツだったのが、だんだんと大粒になり、車の窓をしっかりと叩くような雨に変わった。
 僕たちが出町柳に着いたとき、雨という物はまさしく力強く降っていて、僕はパーティーに呼んでいた友達に「雨だから待機します」という旨のメールを送り、そしてみんなお腹を空かせていたので白川で御飯を食べた。

 食事を終えると、雨は随分と小降りになっていた。
 出町柳で高瀬君も合流し、5人で鴨川公園の前に車を停めて、少しの間どうするか相談する。雨は止むのか、それともまだ降り続くつもりなのか、いまいちはっきりしなかった。だけど、雨が降りそうだ、という理由でなにかを止めにすることはとてもストレスフルだし、僕たちはとりあえず準備を始めることにした。雨が強く降るなら退散すればいい。

 車から大量の荷物や器材を降ろして、それらを中州の先端付近まで運び終えると強い雨が降り出した。器材にブルーシートをかけて、高瀬君以外誰も傘を持っていなかったので、ちょうど何かに使えるかもしれないと持ってきていた大きなビニルシートの中に全員で入って雨宿りをする。空ではくっきりとした稲光が走り、中州に5人してビニルを持ち上げ立ち尽くす僕らは、自分達がいかにも滑稽で大笑いする。

 だけど、昔どこかの偉い人も言ったように、雨という物はいつかは上がる。
 しばらくすると随分な小降りになり、その隙に僕たちは器材を橋の下に運び込んだ。
 そして、このまま橋の下で始めても良いのではないか、ということになり、橋の下で映像を流し、音楽を掛けることにした。ただ、橋の下にはホームレスの人の家があって、僕らはホームレスの人に迷惑でないかどうかを確認するために、ブルーシートで覆われた住処に向かって、誰かいるのか?いるなら音楽かけるけど構わないか?というようなことを叫ぶ。何の反応もなくて、たぶん誰もいないのだろうと僕たちはそのまま準備を続ける。

 橋の下でも、それなりの空間は作ることができた。
 加藤さんやサナエちゃんや菅野君や松本さんやムラ−シもやってきて、ビールを開けて。
 でも、間の悪いことに、ホームレスの人が荷物満載の自転車で帰ってきて、仕方ないので僕は「しばらくここでパーティーするけど構わないか?」と聞きに行った。僕は楽観的に「まあいいよ」とでも言ってくれるかと思っていたのだけど、彼は「あまり遅くは困る」というようなことを言い出したので話の途中で僕は話が終わったことにしてみんなのところに戻った。

 発電機のガソリンがなくなってきたので補充しようとすると、携行缶のキャップが金属製で滑りやすく開けることができない。困っていると今山君が「ホワイトバンドがあるじゃん」というので、僕は手首のホワイトバンドを外してキャップに嵌めて回した。キャップは容易に開き、ホワイトバンドは始めてその実用性を見せた。天才的な思い付き。

 やがて、雨は完全に上がり、僕らは中州の真ん中に大移動した。
 もう橋の下に落ち着いてしまっている感じだったのでどうしようかと考えたけれど、やっぱり思い切って移動することにして、それは正解だった。解放された空間で音を出すこと。周囲の人達からスクリーンの映像が見えること。キャンドルの灯りが見えること。そういったことはとても大切なことだ。

 レイブみたいに踊り回る、ということにはならなかったけれど、橋の下とは開放感が比べ物にならない。もちろん、室内とも比べ物にならない。ジャンベを鳴らしながらかける松田君の音楽のセンスは踊るのにばっちりだった。僕はあまり激しい曲を持っていないので、これからそっち方面にも手を出してみようと思った。僕はこの日どちらかというとソフトロックとかブラジルよりの選曲で、それはあまり中州で激しい音は近辺住人への迷惑になるのではないか、という考えによるものだったけれど、音という物は意外と減衰が激しいみたいで、ある程度の音量をだしても対岸へはあまり聞こえていないみたいだった。と、思いたい。

 サナエちゃんが持ってきてくれた花火もとても楽しかった。
 僕は手で持ってする花火をこんなに楽しいと思ったことは子供の頃以来ないように思う。

 福岡からサマソニにやってきた帰りだという木村君達3人や、話すと同じ大学だということが分かった建築なカップルもやって来てくれて、知らない人が来る、というのは当初のコンセプトにあったので僕はとても嬉しかった。この日は看板を作る時間もなかったし、雨でお盆で人は全然歩いていなくて、今日はその点では期待できないな、と思っていた。
 そういえば、世間という物は狭くて、この日来てくれた木村君に次の日メトロの前でばったりあった。

 名前を忘れてしまったけれど、カップルの女の子の方が映像をやりたいといってくれたので、映像をお任せすることにした。音楽は渋谷系に端を発しているようでセンスもばっちりだった。
 こういうふうに新しい人が参加してくれるのはとても素敵なことだ。 

 野外で開かれたパーティーをするということには、自分達が楽しむ他に通り掛かりの人にも楽しんでもらいたいという意志がある。もちろん、良く思う人ばかりではないだろう。迷惑に思う人も、何騒いでんだと思う人もいると思う。だけど、僕はキラキラとした夜をたくさん作れればいいと思う。普段は真っ暗な中州に灯りを点し、音楽を流し、平和的に人々が過ごすこと、決して「恐く」はしないこと、子供だって家族連れだって気楽に入ってこれること、場合によっては音に合わせて踊るということのない人達が解放されること、つまり、本質的にオープンであること。

 多大な労力を友人達に強いてしまい、それでも文句一つ言わないでうきうきと協力してくれる彼ら彼女らにとても感謝する。また、できるだけ近いうちに次回のパーティーを開くので、よければたくさんの人達に来て頂きたいです。このブログでも告知をすることにします。

(引用終わり)
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