futuer's normal.

 近美が開いているかどうか調べるためにネットを開くと、インフルエンザによる影響はどこにも見られず、次回の企画展は「前衛都市・モダニズムの京都」だと出ていた。その企画展についての文章を斜め読みすると、

 (以下引用)_________________________

IV.前衛都市・モダニズムの京都
電力事業による新たなメディアとして登場した映画。「日本映画の父」と呼ばれる牧野省三は、1919(大正8)年にミカド商会を設立、その後マキノ映画に発展し、まさにモダニズム文化の一翼を担う。また建築家・上野伊三郎も、島津製作所社長・二代目島津源蔵の私邸(現日本バプテスト病院)を設計。島津源蔵はここから電気自動車デトロイト号で通勤した。進取の気風に満ちた「前衛都市・モダニズムの京都」の光景を再現。

   __________________(引用終わり)

 と書かれていて、僕は一瞬目を疑った。
 『電気自動車デトロイト号で通勤した』
 100年近く前の、京都の話だ。

 調べてみると島津氏は1917年にアメリカから電気自動車を輸入してそれに乗っていたらしい。最近GSユアサコーポレーションがこのデトロイト号をレストアしたという記事に詳しいことが書かれていた。90年前に電気自動車に乗っていたなんてどんな気分だったんだろう。こういう未来を先取りした人をとてもスーパーだと思う。もっとも実際に電気自動車を製造販売していたアメリカの会社がすごいわけで、さらに種明かしをすると電気自動車は普通のガソリン自動車よりも前に発明されている。バッテリーの進化よりもエンジンの進化の方が早かったので淘汰されてガソリンエンジンが長い間幅を利かせて来ただけで、概念としては電気自動車の方が古い。だから90年前の電気自動車というのは本当はそんなに驚くことじゃない。モーターも電池もあったし、それで乗り物を作ろうと思うのはとても自然なことだ。

 とは言っても、電気自動車の時代に突入しようとしている21世紀の初頭に20世紀初頭の電気自動車を眺めるのは奇妙なものだ。

 過去と未来。
 先日、デザイナー吉岡徳仁さんのことが話題に上って、そのあとyoutubeで偶然、吉岡さんの回の情熱大陸を見つけた。彼は「特別な物を作るのではなく、未来の普通を作りたい」というようなことを言っていた。それから、これはテレビで言っていたのではなく、本人が言っていたことの又聞きだけど、吉岡さんは「過去から未来へと続く流れがあって、自分が今たまたまこの位置にいてできることをしているだけだ」というようなことも言っていたらしく、それらの発言からはどうしてもニュートンの「私が遠くを見ることができたとしたら、それは巨人の肩に乗っていたからだ」という言葉を思い出さずにいられない。ニュートンは今からざっと350年も昔に生きていた人だから、それまでの物理学の蓄積なんて僕には意識することが難しい。だけど、当然彼の時代には彼の時代の古典があり、彼の時代の今があった。ニュートンにとって350年前は今だった。そして僕達の今はニュートンの未来であり、僕が思うに彼はきっと350年後の今のことを意識していたと思う。

 吉岡さんの「過去から未来のここにいる」という視点はとてもしっくり来る物だ。
 僕は未来のことを予言することはできない。でも、ときどき本当は何もかも知っているような気分になることがある。自分の人生をもう終わりまで生きて、全てを達観したところにいる自分がどこかにいて、その自分の視点がときおり軽やかに入り込むような。次の瞬間が全て未知で驚きと新鮮さに溢れていると同時に、全てが既知でありとても懐かしいような。そしてその延長上に存在する遠い過去の人々や未来の人々のことを想う。
 たとえば物理学で言えば、僕も過去から未来へと流れる研究活動に身を委ねて、バトンを受け取りバトンを渡したいなと思う。この間から自分で理解できないくらい勉強を始めたのは、きっとバトンが回ってきたことに気が付いたからではないかと思う。
  

 2009年5月18日月曜日
 研究。conduction band の計算終了。

 2009年5月19日火曜日
 研究。
 インスタレーション,"IrLed"始動。

 2009年5月20日水曜日
 研究室。夕方に少し出たくなったので、Yを誘って宝ヶ池とワイルドワンなどへうろうろしに行き、ノイナーでご飯を食べ過ぎる。

 2009年5月21日木曜日
 研究室。夕飯をPとのはらで食べる。明日Pの両親がフィンランドから来るとのこと。飛び交う電磁波を捕まえてLEDを点灯させるのはさっとできるかと思ったけれど、実験してみるときちんとしたアンテナ、回路の設計が必要みたいだ。調べてみると簡単なものを作っている人がいるけれど、アンテナをFM用に設計していて発信機から5メートルでしか点灯できない。

 2009年5月22日金曜日
 朝Kから電話があって「うちの大学が閉まってて、ネットとプリンタが使えないので困る」とのこと。へーっと思っていると再び連絡が来て僕の大学も休講らしい。どのみちOしかいないので研究室には普通に出る。JとLが来室。LとOはトルコ人なので僕が会話に入っていないときはトルコ語で話す。もうOとは長いので滅多にトルコの話をしないけれど、Lが来たことでトルコの話題も自然と出て、二段重ねのヤカン「チャイダンルック」など新しく色々なことを知る。その後久々にI君来室。夜はKと珍しくラーメンを食べに行く。
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