子供達は木に登る。


 降り続く雨に濡れた木々を見ながら、雨の中研究室まで行くのが少し億劫だなと思う。喉が渇いていたので棚からジューシーオレンジという果物を取り出して初めて食べてみると、分量の間違いかの如く溢れる果汁が机の上に落ちた。こんなに水分が多くて細胞はきちんと機能しているのだろうか。窓の目前まで迫る木々の隙間を4階の高さから眺めると、奥へ遠くへと進む視界の中に葉や枝が複雑だがどこか規則感のある形態を生み出しているのが見て取れる。僕は地表からではなく高い位置から見る木の景色をより好きだと思う。僕達がサルだったときの名残なのか、それとも只の好みなのかは分からない。僕達は本当にサルだったのだろうか。近くの葉裏に一つの羽虫が止まり雨を避けていた。彼は酷く孤独に見えたが、本人はそんなこと一向に気にしていないのだろうなと思う。それからこういったところで誰にも知られず雨宿りをする虫達が、数え切れないくらいに沢山この景色にいて、それぞれが意識を持ち孤独なり安らぎなりを携えているとしたら、一体どれほどの数の意識が世界を埋め尽くしているのだろうと身震いする。何度も何度も同じことを書いているが、本当に僕達の意識というのはどういう具合に作られているのだろう。誰にも永久に解けそうにない、僕達の科学と論理の外側にしか答えのないような問い。桁外れに不可解で異常な現象。でもそれは到る所であらゆる瞬間に起こっている。僕達はそうやって生み出された謎の意識を持ってして、この世界をあらゆる場所から観察している。まるで所々表面に漏れ出した何かのように。不可解な意識が無数に存在しているのではなく、実際には一つしかない意識というものが何かの都合で分断され無数にあるような錯覚がしているだけなのかもしれない。あの虫の視界と僕の視界は、実はどこか深いところで繋がっているのではないかという気持ちがする。