tea.

 洗練された手順を一つ一つ、丁寧に踏んでいく行為には強い力が伴う。その力について語る言葉を僕たちは持っていない。それは決して語られることなく、ただそれら行為の中にだけ立ち上がる独自の何かだ。その力は、周りでそれを眺める者だけにではなく、行為を行う者自身にも影響を及ぼし、つまり周囲一帯の空間を支配する。

 僕は高校生くらいまで「茶道」を必ず「ちゃどう」と読むようにしていました。それは僕が捻くれた子供だったからです。「ちゃどう」と言うと必ず周囲の誰かが「それは”ちゃどう”ではなくて”さどう”と読むのだ、そんなことも知らないのか」というようなことをしたり顔で言うので、そこを「”さどう”とも読むけれど”ちゃどう”とも読みます。両方正しいのです。そんなことも知らないのですか」と切り返すのが面白かったというわけです。まったく性質の悪いことに。

 そういった、あまり真っ直ぐではない性格の僕は、茶道そのものに対する見解にも少しく変わった論を採用していました。それは「茶道というのは金持ちが大枚で手に入れた貧乏に過ぎない」という説です。これは確か橋本治さんが何かに書いていらっしゃったのですが、人というのは自分が持っていない物を欲しがる生き物だ。だからお金持ちは自分が持っていない「貧乏」を切望することがあって、秀吉達はどうしても欲しくなった貧乏をお金持ちのやり方の常として大金で買った。だから茶室というのはあんなに狭いし、茶器は質素でなんてことないのがあんなに高い。貧乏を大金で買うという行為が茶なのだ。という意見は、極々一般的なワビサビを中心として展開する高潔なロジックに比して、なんとも身も蓋もなく僕に訴えました。ときどき僕は物事を正しいかどうかではなく、人が驚きそうかどうか、で判断する傾向があるのですが、この茶道の始まりの話はすぐに採用されたわけです。

 そうして、僕は茶道のことを神妙に語る人がいるとすぐにこの話を持ち出して尾鰭足鰭も追加して意地悪をするようになった。そんなに奥深そうに語るけれど、あれって本当は金持ちの貧乏ごっこに過ぎないんですよ、みたいに。
 もちろん、いつもいつもではないけれど、大体において僕の茶道への思いというのはこういった詰まらない心持の悪い物でしかなかった。

 ところが、昨日留学生がお茶を立ててくれるお茶会に出てみると、ただの貧乏ごっこだなんてとんでもありませんでした。茶道というのは確立された何か確固たるものを持っていました。少し崩した形の茶会だったと思うし、お茶を立ててくれるのも長年の修行を積んだ人というわけではなかったけれど、僕はそう感じた。きっとこの奥には遥かな世界が存在しているなということが明らかにに見て取れた。

 茶道の何が良いのか、(本当は全てのことがそうであるように)僕は説明することができない。本当は「神」なんて単語では『神』は表現され得ないと知っているのに、仕方無しに「神」という言葉を使って神を思考するように、ここでは単に「茶道の良さ」という超関数的な言葉を用いるしかない。それは美しさでも洗練でもなんでもなく、冒頭に書いたように語りえぬ何かなのだ。
 そして「茶道の良さ」というものを少しなりとも感知した僕は、茶を中心にこういったことを立ち上げた利休の天才を思わないではいられない。そういえば柄杓を扱う手つきが時折合気道を連想させるのですが、かつて合気道を始めたときも、訳のわからないことも多々あるものの、なんて天才的な武術だろうと思った。考えてみれば天才的な何かに訳の分からないことが多々含まれているというのは当然のことですね。

 僕はこのお茶会に全く何の予備知識もないまま参加して、隣に座っていたメキシコ人のMに「お菓子は大抵お茶が来る前に食べてしまうんだけど」とか「飲み終わったらお茶碗を鑑賞して」などと教わりつつ(さらに川端康成千羽鶴に茶碗の描写がすごいチャプターがあるから読んでみると良いよと言われた)お茶を飲んだわけですが、とても楽しい経験でした。今まで茶道をやっている人も回りに何人かいたけれど、なんとなく「ああいう堅苦しいのは理解できない」と思いながら避けていて、でも心のどこかではずっと気になっていたので、つっかえがすっかりと取れた気分です。

 それにしても「形式」というのは実に興味深いものです。様々なものに「形式」は付き纏い、そして「形式」を嫌う人も入れば好む人もいる。僕は子供の頃「形式」を嫌い、敵視すらしていたけれど、今は形式の持つ豊かさを理解することもできる。なにより、形式を好む好まないというのは問いの立て方が既におかしいのだと分かるようになった。