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 眼鏡を掛けてゴールデンリトリバーを連れた小うるさそうなおばさんが「ここで火を使ってはいけませんよ。禁止されているんですよ。今から警察に通報しますからね」と結構な大声で言い放ちながら僕達の横を通って行った。おばさんは一切立ち止まることがなかったので、何かを言い返そうにも今度はこちらが大声を出さなくてはならないし、それは日曜の昼下がりにあまり相応しくないような気がしたので僕は黙って彼女が遠ざかっていくのを眺めていた。
 日曜日、Yちゃんに誘われたので何がなんだか良く分からないまま加茂川でバーベキューをしたときのことです。
 鴨川条例という、所有とか体制とか人工とかその辺りの言葉を連想させるゴミみたいな条例は、結局のところその目的を上手い具合に達成しつつある。彼女がその後ちゃんと警察に電話をしたのかどうかしらないけれど、警察は遂に来なかった。大体この場所は鴨川条例の定める禁止区域を外れているので、僕達には法的にやましいことはなんにもあったものではない。
 ただ、僕がそのまま炭を起こし続けていると、Aさんが「違法行為は外国人にとってはやっかいなことだから、ここで本当にバーベキューをしてもいいのかどうかちゃんと分かってからにしたい」と言いに来た。僕達はその3分の2くらいが外国人で構成された集団で、彼の言うことももっともだった。僕はYに電話を掛けてネットで確認してもらい、それから改めて火を起こそうとコンロに戻ると、鴨川を散歩していた50歳くらいの夫婦が「火はこうやって作るものだ」と色々レクチャーしながら火を起こす手伝いに加わってくれていた。青筋を立てながら喚いて去っていくおばさんもいればこういう夫婦もいる。

 条例のことはここにごちゃごちゃ書いてもしかたがないですが、条例ができたせいで、本当は誰も困ったりしないのに、でも条例の影響でするのを控える、あるいは悪いことをしているような気になる、という現象が起こっているような気がします。条例はもともと市民の意識を変化させるために作られたものだと思うので、その点を指して僕は条例が実に計画通りの効果を発揮していることだろうなと感じざるを得ません。

 後片付けをして、荷物をMちゃんの部屋に運び込んで、残った6人でDOJIに行ってお茶を飲む。国やなんかの話になって、僕が「国という単位、区切りは幻想にすぎないし、どこの国がどこの国に何をした、という話には本質的な意味はないと思う、ジョン・レノンが言ったように国なんてないんだよ」というと、イギリス国籍の友達が「本当に?ジョン・レノンそんなこと言ってた?」と少し嬉しそうにしてくれたのでなんだか僕も嬉しかった。これはあくまで僕の憶測に過ぎないけれど、彼は彼なりにナショナリティーの問題を抱えていて、それをクリアする一つの手掛かりとして imagine there is no country というフレーズはヒットしたんじゃないかと思う。僕自身がこれまで沢山の何気ない一言に影響されてきたように。