stiff.

 1+1=2

 というのは正しいことになっています。僕はここに1+1=2の根拠だとか証明だとか、そういう良くある話を書くつもりではありません。単に記号の意味が気になるだけです。あるいは「等しい」という言葉の意味について。

 1と1と足し合わせると2になります。でも、「1と1を足す」という演算と「2」という数字は違うものです。もちろん僕だってバカではないので基本的には意味を理解しています。「1と1を足し合わせた結果は2になるし、2は1と1を足し合わせた結果だ」みたいな意味であることは分かります。

 ただ、本来1+1というのは1+1以外の何者でもない。2というのは2以外の何者でもない。僕達はそれでは気が済まなくて、「演算結果だけを見てみて、それが同じだったら同じ」ということに決めて、その観点で「同じ」という言葉を数学上で使うことにした。

 同じという言葉は必ず「これこれの視点、基準において」という形容を持つものに違いない。だから本当は同じという言葉は何かの切り取り方のことでしかないのかもしれない。

_______________________

 大学のコープへお菓子を買いに行くと、栄養ドリンクの前でどこかの研究室の先輩と後輩がしゃべっていて、その内容は先輩が実験で忙しいときに顔が土気色になるくらいひどい生活をしていて、そのときはこれこれの栄養ドリンクを飲んで乗り切った、というものだった。先輩は顔が土気色になったということを自慢気に話していた。

 友達が販売の仕事をしていて、ちゃんと出社時間は守っているのに、もっと早く来た方がいい、ということを店長に言われるらしい。そのお店では店員がみんな早めにやって来て、店の商品を褒め称え狂喜し、売り上げを達成できないときには自ら商品を購入してまで目標に到達しようとするらしい。クールな僕の友人はまるでやる気も愛社精神もない悪者みたいで、そういう狂った職場で働くことは随分な苦痛だろうなと思う。実務よりもやる気や頑張ってる感や奉仕の精神が優先されるような職場は異常だと思うけれど、そういう会社は結構多いらしい。

 昔、あるバスツアーに参加したとき、バス乗り場には屋根があって十分な人数がそこに入れるのに添乗員は傘を差して屋根の外に居た。屋根の下が満員で窮屈だというなら客を優先するのは分かるけれど、でもゆとりがあるのに外にいるというのは意味が分からなくて、僕はこれは、自分を犠牲にしています、私は頑張っています、のサインだろうなと思った。その添乗員の判断か会社の方針かは知らないけれど、そうとしか捕らえることができなかった。

 こんなことを書くと怒る人がいるかもしれないけれど、上の3つの話には共通していることがあって、それは「自己犠牲が好き」ということです。何かのプラスを生み出すことよりも、自分がこれだけマイナスを被っているということを誇りにする種類の人間が僕の理解の範疇を超えて沢山存在する。短い睡眠時間と休日出勤と肩こりの酷さを自慢するような人々のことです。そんなことをお前はのうのう言うけれど、こっちだって好きでやってるわけじゃない、という人がたくさんいるのも知っている。でも、それなら自慢気に自分の疲労具合を語るのは止めた方がいいのではないかと思うのです。自分がどれだけ嫌な目にあっているかということが自慢話になる社会というのは、これからどんどん嫌なことを増やしていくに違いない。意味の無い自己犠牲にはなんの価値もないというコンセンサスは社会に必要なんじゃないかと思う。

_______________________

(しばらく前に書いてあったメモ)
 natureの表紙が "QUANTUM LEVITAION"(量子浮上)の文字で飾られていて、ヤフーのニュースにも出ていたけれど、なにやらセンセーショナルな雰囲気が少し出ていた。カシミール効果で斥力を実現したとのこと。カシミール効果というのは本当に大昔にカシミールが理論的に予言した現象で、完全な絶縁体の板二枚をものすごく近づけると間に引力が働くというものです。引力といっても静電気だとかお互いの重力場によるものだとかではなく、量子力学的な場の振動によるもので、真空というのは実は何にもない空間なんかじゃなくて常に粒子が出来たり消えたりしている場なのです、ということを原因とする引力です。
 そのカシミールの発表の後、リフシッツが絶縁体じゃなくてもいいかもしれないということで理論を一般化しました。その一般化した理論によればカシミール効果には引力だけでなく斥力もあるということで、今回の実験はこの理論に則ったものです(リフシッツがこの理論を作ってから何十年も経っている)。遠い未来にやって検証されるような理論を打ち立てるってすごいなと思うし、数十年前は思考実験しかできなかったようなことが実際に実験できるようになる技術の進歩もすごいなと思う。