あの子ときたら真っ赤なビュイックに乗って。

 春になって少し暖かくなったら、またクラブに行ったりイベントをしたりしようかなと思った。一晩中踊ったり話したり叫んだりお酒を飲んだりして。タバコの臭いがすっかりと染み込んだ上着に包まりながら、マスカラの残骸で目元を黒くした女の子や無精ヒゲの伸びてきたあまり良く知らない男友達なんかと酷い気分で朝焼けを眺めるような。次第に朝は活気を太陽から取り込んで、鴨川では鳥達が冷たい風を切り、橋の上には通勤の人々が足早に過ぎていく。河原に座った僕達だけが、足元に転がったミネラルウォーターのペットボトルとコーヒーの空き缶と共に世界から取り残されたようだ。

 ひさしぶりにステレオで音楽を聴いて、僕は今や随分な過去になり始めた20代の半ばまでのことを思い出した。CDJに挿入したディスクは、僕より丁度一回り若いある人の為に、ここ20年間にクラブで流れたような音楽から僕がピックアップして作った物だった。会うときに持っていくのを忘れて、考えてみればどうでもいいようなことだったので以来放ったままになっていた。それをまさか自分で聞くことになるなんて。

 アパートの下の部屋が空き部屋になっているのをいいことに、久しぶりにベースを最大に上げていくつかの懐かしい音楽を聴いていると、僕はもしかしてここ5年間ほど眠っていたのではないかという錯覚がした。もちろん僕は眠ってなんかいない。小さくともいくつかのことは成したし、日々の喜怒哀楽も当然毎日受け止めて過ごしていた。ただ、確実に何かは失われていて、はっきりと起きている感覚がしなくても不思議はないのかもしれない。僕は音楽にうるさい人間ではないし、音楽がなくても平気で生きていくことができる種類の人間だと思う。だけど、やっぱり20代の前半にクラブで聞いた音楽は僕の性質だか人格だかに決定的な影響を及ぼしているようだった。

 僕はもともと大騒ぎが好きだという人間はない。キラキラしたものを求めることはあっても派手な状況を求める者ではない。人からも言われるし、自分でも良く分かるのだけど、10代の終わりから20代に掛けて僕のことを覆っていたトゲのようなものはどこかへ行ってしまい。代わりに僕はもっと柔らかで心地の良いものを手に入れつつある。単純に一言で言えばマイルドになったり、マイルドなものを好むようになりつつある。同年代の友達が結婚して子供をもうける年齢なんだからマイルドになるのも当然のことなのだろう。

 僕達は失ったり手に入れたり、気が付くと疲れ果てていたり元気を回復していたり、ただ確実に目は開かれていく。自分の取り込まれていた意味のない価値観のあまりの無意味さに愕然として、そのとき初めて若いという言葉の本当の意味を知ったり。

 って、こんなことを書くつもりじゃ全然ありませんでした。
 今年の抱負を書こうと思っていたのです。
 今年の抱負は「アメリカン」。
 あの図々しさとかアグレッシブさとか乾いた幸福っぽさとか、ああいうのを少しは見習いたいところです。京都は湿度が高くて困る。見てくれよ、僕の新品のピカピカに磨いたでっかい車をさ!
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