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 僕達の意識や存在については謎ばかりですが、視覚に関して盲視という実に興味深い現象があります(昔にも一度書いたかもしれません)。盲視というのは脳の視覚野に障害を負い、視野の半分をなくしてしまった人が、それでも無くした視野の中を感じることができるというものです。本人には見ている感覚は全く無いのに、欠損した視野の中に置かれたカーソルを指差したり縦線が引かれているか横線が引かれているのかを言い当てたりできる。たとえば視野の右半分が無くなった人の右前にコンピューターのディスプレイを置いて、そしてカーソルをどこかに出し、「カーソルを指差して下さい」と医者だか脳科学者だかが言ううわけです。当然、右の視野がないその被験者は「見えないので指せません」と答えます。それにも構わず医者は「あてずっぽうでいいので適当に指してみてください」と無理なお願いをするのですが、なんとそうすると患者は百発百中でカーソルを指さすことができるという具合です。つまり見えていないのに見えている。

 盲視のメカニズムはまだ全然解明されていませんが、「見える」というのが一体人間にとってどういうことなのかを考えさせる強烈な現象であることは確かです。さらに最近のサルを盲視状態にした研究で、盲視の方が普通に見るときの情報処理よりも早いことが分かりました。サルの見えない視野(形容矛盾ですけれど)に対する反応の方が、見える視野に対する反応よりも速いということです。
 意識上の視野に情報を送ったりする必要がないので、盲視の方が速いというのは実に理にかなったことに見えます。もしかしたら原始的な生物というのは意識を介さない視覚情報処理をしていて、つまり盲視に近い状態で生きているのかもしれない。ほとんどの昆虫は僕達よりも時間分解能の優れた視覚を持っていて、いわば動体視力が極めて良い。だから1秒に30枚の画像が流れるテレビ画面を僕達は滑らかな動画として認識しているけれど、ハエやゴキブリにとってみれば全然動画なんかじゃなくて紙芝居かせいぜい下手なパラパラアニメくらいに見えているということです。

 僕がこの盲視の方が速いというのを昨日読んで思い出したのは「先の先」という武術でよく言われる言葉です。どういうことかあまり良く知らないのですが、相手の攻撃の先を読む、という概念の次元をもう一個上げた感じのことだと思います。たぶん、一番初歩的な攻撃を避ける方法は相手の攻撃に反応してそれを避けることです。「顔面にパンチが飛んで来る」のを見て、それに反応して避ける。一歩進んだ避け方は「顔面にパンチが飛んでくる」というのを見抜いて、相手が動き出すと同時に的確に避ける動作がこちらでも始まっている。そしてさらに進んだ避け方というのは「なんとなく左に動いたらさっきまで自分の顔があったところに相手がパンチをしてきた」というものです。

 絶対にそれだけではないとは思うのですが、でもこの「なんとなく」というのには盲視の人が使っているような脳の働きも必要とされているのではないかと少し思いました。

 本文にはあまり関係がないですが、エクストリーム武術の人たちがストリートサッカーを取り入れたすごい映像を見つけました。