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 今からたかだか150年前、この国はたった4隻の蒸気船に打ちのめされて鎖国を解いた。
 歴史の授業で習ったとき、僕はまだ子供でなんのインパクトも感じ取ることができなかったけれど、たった4隻の船が一つの国家を屈服させたというのはとんでもないことだ。僕達の国際化だとかグローバリゼーションはそんな賢いアリに怯える愚鈍なゾウみたいな感じではじまった。

「アメリカはGDPの3割り近くが金融関連だ」とOが言うので、僕はそれは言い過ぎではないだろうかと思いながらも「じゃあバーチャル国家だね」と返答した。
 あとで調べてみると、詳しい数字は出ていなかったものの、「アメリカにある”価値”の多くは家だとか車だとかみたいに実体を持ったものではなく、それは本当に単なる”価値”でしかない」ということを経済に詳しそうな人が書いていた。本当のところはどうだか僕には分からないけれど。

 先日Tと話をしていたとき「世界経済なんて停滞した方がいいんじゃないか」ということを僕は言った。そのときにどうやら僕は本当にそう思っているのかもしれないなと思った。「経済が活発」ってどういうことかというと、新しいものがどんどん作られてそれらがどんどん流通して売れる、ということだから。だとしたら経済が活発だというのは生活に本来必要のないものを作り出すことに人類の労力がより多く割かれるということを意味しているにすぎない。
 生きていくのにはまず食べ物が要る。だけど食べ物は偏在していて足りていない。本当はもっとたくさんの人が食べ物を作るべきなのに活発な経済活動というのは携帯やパソコンやipodなんて食べられないものを作る人間ばかりを増やす。それを作ったり売ったり運んだり宣伝したり。だけどそういう人々だって当然何かを食べて生きている。その食べ物ってどこから来たのさ一体。

 そんなことを言いながら僕だって全く食べ物にならない物理学をやっていて、それに関して時々「わがままでこんなことをしているなら畑を耕すとかもっと人の役に立つことをするべきなのではないか」とI君と悩んだりする。

 ある金融の専門家が「アメリカでサブプライムが起こって、バブルがはじけて金融のことをとやかく言う人ばかりだけど、でもお陰でアメリカに豪華な家やビルが
たくさん建ったわけです」ということを書いていた。実際に生まれたものもあるし、それらはちゃんと残っているのだから悪いことばかりではないという意味だと思います。だけどそうじゃない。アメリカに世界中からお金が流入して建物がたくさんたったということは、言い換えれば飢餓のある国で農作業に費やされるはずだった労力が、アメリカでお金がないのに家が欲しいというわがままな人の住む家を建てるために使われたということだ。その家々はトウモロコシとかジャガイモとか小麦でできている。
 家を建てるのはお金じゃない。人間だ。人間一人一人の労力には限りがある。だから人類トータルで使える労力の総量にもとうぜん限りがある。そして僕達には食べ物が不可欠で今食べ物は足りていない。だったら家なんかじゃなくてトウモロコシを作るために労力が使われなくてはならない。

 僕はでも物理学をやめて食糧増産のために何かしようとは思えなくて、せめて身の丈にあった生活をしようと思う。