Inovel.

 高校生のとき、変なことに気が付いた。それは「自分の状況を頭の中で作文に仕立て上げてしまうとなにやら許されそうな気がする」ということだった。たとえば万引きをする場合(僕は一度もしたことがないけれど)、

 浄水器の交換フィルターを持って、ついでなので僕は店の中をうろうろ見て回ることにした。最近この店では売られている電球の種類が減ったなと思いながら300ワットのハロゲン球の値段を確かめていて、それでふと「僕が今この電球とフィルターを持ってお金を払わずに店を出たら誰か困るのだろうか?」と考えてみた。絶対に誰かが困るのだろうけれど、当面は特に誰も困りそうな気がしなかった。しばらく考えているとレジでお金を払うという行為には何の意味もないような気がしてきた。人がいないことと防犯カメラがないことを確認して、僕は無造作にそれらを鞄に放り込んだ。

 なんて作文を頭の中でしながらだと、なんとなくそれはそれでいいような気分になる。私小説というのはもしかした最強の言い訳というか自己を正当化する手立てかもしれないなと思った。
 このとき僕は一人で学校から家へ帰るところで、坂道を下りながら「文学ってもしかしたら誰かの言い訳なのかもしれないな」と思ったのを今でも良く覚えている。それから僕は誰かが自分のことを語るとき細心の注意を払うようになった。語るという行為には謎の力がある。どんな生い立ちであろうと、「語られる」とそれは物語になり僕達は必ずそれを許容する。許しというのはとても大事なことだけど、どこまでその魔法を使っていいのかよく分からない。