our vegetables are all organic.

 夕方に少し眠っていると夢を見た。どこだか田舎の家へ行って、帰ろうとするとおばあさんが「炊き立てだから少し食べなさい」とお米をくれて、それがあまりにおいしくて僕は目を覚ました。
 起きると時計は6時を指していて、僕は完全に空腹だった。調理も買い物もせず、今すぐに何かを食べたいという種類の空腹だった。なら一分で行けるコンビニエンスストアへ行って食べ物を買えばいいのだけど、そういうわけにも行かなかった。夢のせいだ。僕はもっとちゃんとしたものを食べたいと思う。

 夢のことを少し考えてみると、そのお米を食べたときに感じた「おいしい」は去年の山水人で食べた五穀おにぎりか何かの味だと分かった。とてもお腹が空いていた所為か、そのおにぎりと、セットになっていた焼きうるめは強烈においしかった。
 なんだろう。去年の山水人でもっとも印象に残っていることはもしかすると食べ物かもしれない。音楽イベントに行って食べ物が一番印象的だったというのもどうかしているけれど、1年間という記憶のフィルターを通してみると、実際に浮かんで来るのは食べ物のことばかりだ。

 僕は特にオーガニックだと言って騒ぐタイプの人間ではないので、多少は気にするもののそれほど食べ物に気を使ってもいない。たとえば僕の妹夫妻はスーパーに売っているベーコンなんて絶対に口にしないといった感じだけど、僕は平気で食べる。スナック菓子だって大好きだし、へんてこなジュースも飲む。マクドナルドもケンタッキーも食べる。
 山水人ではイベントの性格上「オーガニック」な食べ物の屋台が多いわけだけど、僕としては毎日の食事ではなくほんの数日間口にするだけのものだから別にオーガニックでも農薬使っててもなんでもいいやという気分でした。ただ、あの会場では普段の生活とは逆にオーガニックではない食べ物を買うことの方が難しいような感じだったので、自然とオーガニックな食べ物を買い求めることになる。

 思い返してみると、それらは大抵ものすごくおいしかったかもしれない。僕はあまり食べ物に対する執着がないけれど、夢から目を覚ましたときあれらの食べ物を渇望していた。だからコンビニエンスストアなんかに行くことはできなくて、結局定食を食べに行った。でも、定食屋で別にオーガニックな五穀ご飯を食べたわけではないし、欲求は満たされなかった。ただ栄養学的な栄養が補給されただけだ。

 物を食べているときに「物を食べているな」と感じる食べ物を、普段は食べることができない。すこし手触りが粗く、でもしっくり来る食べ物を手に入れるのは難しい。僕達が外食やスーパーで手に入れて口にする食べ物の大半はストレートではない感じがする。そう思うと生命から阻害されているようなとてももどかしい気持ちになった。