鳥。


 鳥の声がいつもより近く、そして一定間隔でずっと聞こえていたので、僕は窓を開けて顔を覗かせた。こういう鳴き方は動物学的には親を求めてのものなのだろうけれど、そのとき僕は児童文学的に鳥が助けを求めている声なのだと思った。僕の研究室は5階にあり、窓の下には4階の床レベルに3階が少し張り出した屋根がある。その屋根の上に良く分からない変な鳥が居て、それがずっと鳴いているようだった。これは何かあったんだろうなと思ったけれど、鳥が自分で解決するかもしれないので夕方まで放っておくことにする。

 ずっとその鳥を気にしていたのだけど、夕方まで結局鳴きっぱなしで屋根の上をウロウロするばかりだった。僕はすこし迷った挙句、鳥の様子を見に行くことに決めた。どうして躊躇ったのかというと、もしも鳥が何かのトラブルでそこにずっといることを余儀なくされているのであれば、それを確認したあと僕はそれを放っておくことはできないだろうし、つまりそれは鳥の面倒を僕が見ることを意味するからだ。研究室でもアパートでも鳥は飼えないから、誰か飼ってくれる人を見つけなくてはならない。それに野鳥を飼うことは禁じられているはずなので、飼ってはいけないなんだか良く分からない野鳥を「飼ってください」と人に頼むのは少し気が引けた。それからもう一つ理由があって、その3階の屋根の上は4階にある僕の良く知らない研究室とか教授室のすぐ外で、屋根の上をうろうろするとその人たちの窓のすぐ外をうろうろすることになり、これはかなり気まずいし不審人物に思われるからだ。

 でもやっぱり鳥は鳴いてウロウロしてるし、そんなことも言ってられないので見に行くことにする。机の横にあった木片とネジでバードコールを作って試したけれどなんの効果もなし。誰かを巻き込もうとI君に電話すると「眠いから寝るからごめん」と冷たくあしらわれ、Sさんは来客があって駄目、Mちゃんはネットの工事で家に帰ってるとのこと。Oはバケーションでトルコに帰っている。仕方なしに一人で3階の屋根に出てみると変な鳥はやはり飛べないようだった。あとでこの鳥はイカルの子供だと分かるのですが、このときは何の鳥かも分からず、それどころか大きくて羽もしっかりしていたので僕は何かの成鳥だとてっきり勘違いした。この屋根ではまれに4階の窓に激突した鳥が死んでいるので、これもきっとぶつかったかなにかだろうと思った。軍手で捕まえてバケツに入れると鳴き叫んで大暴れ。大学に戻ってきたMちゃんが5階の窓から「大丈夫?」と手を振る。どうしようかと思いTに電話をすると「暗くすればいい」と言う。そういえばそうだ。僕も昔スズメを飼っていたのでそのときのことを思い出して、バケツには入れず両手で鳥を頭から包み込んだ。じっと包んでいれば鳥は安心して寝てしまう。

 さて両手で鳥を包んだはいいけれど、これでは部屋のドアも開けることができないのでMちゃんにカギを開けてもらったりして研究室に戻る。適当な箱がなかったので床に放すと椅子の下の方にある丁度止まり木のような部分にちょこんと止まった(写真はそのときのものです)。何か餌でもやろうと思い僕の野菜ジュースをお皿に入れて分けてやったけれど一向に興味を示さない。とりあえず、この鳥がなんという鳥で何を食べるのか調べて、要るものは買いに行く必要がある。ネットで日本の野鳥画像を検索するも該当するものがいない。このときイカルに似ているなとは思ったのだけど、写真では同じ鳥に見えなかった。まだ完全に成鳥になりきっていなかったせいだ。

 ネットで調べるのが段々と面倒になってきたので、ペットショップへ行けば自ずと鳥の名前も食べ物も分かるだろうと鳥を置いて、僕は自転車で買い物に出た。鳥は割り箸で作ったジャングルジムみたいな止まり木と水のコップと一緒にバケツにいれておいた。最初に行った川端のペットショップは鳥を扱っていなかった。そういえば北大路に鳥の店があったなと思いそこへ行くと店は潰れていて、百万遍の小鳥のお店へ行くとシャッターが閉まっていた。仕方がないので結局ニックへ行って、「粟の穂」を買う。それからスーパーで巨峰と自分で食べるお弁当を買って研究室へ戻る。部屋は電気を消していって暗かったので、帰ると鳥は首を後ろに曲げてすっかり眠っていた。お腹がぺこぺこだったのでまず自分のお弁当を食べ、そうこうしているうちに鳥が起きたのでまず粟の穂を与えてみる。ところが全く食べる気配がない。でも食べる気配はないけれど攻撃する気配はあったので、僕は粟の穂で軽く鳥を叩いてみた。すると鳥は怒って粟の穂に噛み付き、そのときどうやら食べれるのだと悟ったようで、ガリガリとすごい音を立てながら粟を少し食べた。次に巨峰を一粒与えてみるも、やはり全く興味を示さない。ナイフで果肉を露出させても興味がないようだったので、僕は鳥のクチバシに巨峰を突き刺してみた。鳥は果汁のついたクチバシを不思議そうに動かしてすこしだけブドウを食べた。

 この鳥をこれからどうすればいいのだろうと色々考え、動物のことと言えば動物園だと京都市動物園のホームページを開いてみると、トップページにちゃんと野生鳥獣保護センターというのが載っていて、そこでは野生動物を保護してちゃんと自然に返してくれるという。なら明日の朝ここへ電話してみよう。2粒だけ鳥に残して巨峰を食べ、それから鳥を水や餌と一緒にバケツにしまい、雨の中僕は家へ帰った。

 今日は7時前に起きて8時前に大学へ来た。鳥が朝早く起きて暴れていると困ると思ったからだ。でも僕が部屋に入ったときは実に静かだった。ブラインドを開けるとはじめて「ギェ ギェ」と変な声で鳴き始めた。粟はいくらか食べた形跡があったし、糞は大量に出してあったので、食べたり飲んだりはきちんとできている様子だった。しかも一晩眠って元気が出たのか、バケツの蓋を開けると止まり木と僕の腕を伝って勢い良く部屋の中へ跳び出し、そして本棚の影で全然隠れてないのに隠れている振りをしたりする。

 動物園に電話すると、まず雛の誤認保護ではないのかと散々聞かれるので段々とそのような気分になってくる。「良く分からないので写真を送るから同定してほしい」というと、「写真で見ても大人と子供の区別は難しいから、じゃあ持ってきてください」との返事。
 僕は「たぶん持って行きます」となんとも曖昧な返事で電話を切って、それから改めて鳥を見てみた。鳥は段々部屋にも僕にも慣れてきて、もう本棚の隅ではなく部屋の中をウロウロと空き放題に飛び跳ねていた。この鳥は一体なんだろう、と僕は考える。本当に野鳥なのかどうかも分からない。僕の手にも肩にも乗るのでもしかしたら誰かのペットだったのかもしれない。野鳥でなければ保護センターは引き取ってくれない。いや、でも、これは絶対に野鳥だ。ようやく僕は合点がいった。これが野鳥である理由は、外の木にある鳥が止まってきれいな声で鳴くと物凄く強い反応を示すからだ。昨日1度それがあった。そして鳥は良く見るとまだ毛が柔らかくて雛にも見えなくはない。なんだ親子なんじゃないか。僕はきれいな声の鳥が探しに来たとき、この鳥を離してやるべきだったのかもしれない。でも30センチも飛べない鳥を4階だとか5階の窓から放す気には到底なれなかった。

 これが雛だとすると僕は誤認保護して鳥の親子の運命を引き裂いてしまった可能性がある。一瞬ぞっとしたけれど、でも昨日1日ちゃんと様子を見たし、一日中同じところから動けないというのは問題があったからに違いない。先に結論を書いてしまうと、この鳥は何かの助けなくしてその屋根の上から出ることが出来なかったと思う。親がいくら呼ぼうとも。その屋根の縁には段が付いていて高くなっていて、その段はこの鳥には絶望的に高かったからだ。鳥は止まり木からの落下を起点とする飛行はできたものの、地面から上方向に飛び上がるという飛び立ち方ができなかった。だから屋根に縁があると外にでることができない。

 動物園へ持っていく前に、もう1日同じ場所において様子を見てみようと僕は思った。もしかすると親が来てなんとかするのかもしれない。鳥はすっかり慣れてきていたので、僕は手に鳥を乗せて4階へ行き、窓を開けて屋根の上へ出ようとした。
 そのとき、なんと鳥が僕の手から飛び、屋根の縁もぎりぎり飛び越して外へ45度くらいの軌道を描いて落ちるように飛び出した。そして向かいにあった大きな木の中ほどへ埋もれて見えなくなった。僕は大慌てで一階へ降りて木の下まで行く。小学生のときと同じ過ちをしているじゃないかと思う。子供のとき僕は、まだ飛べないだろうと思ってスズメの子供を外へ遊びに連れて行った。でもスズメは急に飛び、水田の中に落ちそうになりながらよたよた飛んで、そしてどうにか家のベランダに辿り付いたのだった。水田に落ちたら死んでいたかもしれない。僕はその危なっかしい飛行をハラハラ見守って、ベランダへ下りたのを見るがはやいが駆け出し靴のまま2階へ行った。ベランダへ出るとスズメは何事もなかったかのように僕のほうへ飛んできた。それは実に怖い時間だった。
 あのときと同じだな、と思う。降り出した雨の中、木の上を見上げたり、地面の草を掻き分けたりするけれど、なかなか鳥は見つからない。まいったなと思っていると、職員の女性の方が通られて、何を探しているのかと尋ねられたので簡単に経緯を話す。すると「私も昨日鳴き声を気にしてたの、鳥はイカルよ。クチバシ黄色でしょ?」と教えてくださった。

 探し続けていると、やがて木の上から鳥が鳴きはじめる。しばらく目を凝らしているとどこにいるのか見つけることができて、さらに10分も見ていると枝を飛び移り損ねたのかバタバタ羽ばたきながら地面に落ちてきた。
 僕は鳥をまた手に載せて、それで先ほどの職員の方がいらっしゃる部署に鳥を「見つかりました」と見せに行った。彼女は「これはまだ子供ね」と言い、鳥は植えてあった小さな木の枝をあちこち飛び移ってみせた。それから彼女は車で動物園まで連れて行ってもいいと申し出てくれた。

 今度は飛ばないように注意して、また3階の屋根の上に鳥を放してみた。鳥はウロウロして、樋に溜まったゴミを食べようとしたりし、僕が研究室に戻って窓からお米を落とすとバリバリ音を立てて食べた。
 じっと見ていては親鳥の妨げになるかもしれないので、僕は机に座った。だけど鳥のことが気になって仕方ない。親鳥の声は覚えているので、遠くにでもその声がしないか耳を澄ませる。すると驚くほどたくさんの鳥や虫が鳴いていることに今更気付く。この声全てが何かの意味を持った言葉なのだ。僕には分からないけれど、でもそれは言葉だった。世界は意味に満ちていた。

 僕は改めて鳥のことを考えてみた。あれしきの飛行能力で他からこの屋根にやってきたとは考え難い。屋根の周囲は巣がないことを確認している。ということはこの鳥の巣は屋上にあって、そこから飛び立とうとして3階の屋根に落ちたと考えるのが妥当ではないか。僕はまず先ほどの職員の方(Fさん。彼女はこのとき動物園に電話をして色々なことを聞いてくれている最中だった)に「屋上に巣があるかもしれないのであればそこに戻します」と言って、そのまま施設課へ行った。屋上に出たいというのはなかなかすんなり通る要求ではないかなと思いながら鳥のことを説明すると「じゃあ鍵ちゃんと返しに来てよ」と意外にあっさり鍵を出そうとして下さり、でも「そうだ、ごめん、あそこの鍵はここじゃなくて3号館の事務室にあるんだった」言われる。そこで僕はその事務室へ行き、また鳥のことを説明すると今度は「その3階の屋根って柵あるの?」と聞かれ「ないです」というと「じゃあ出たら駄目。鳥はかわいそうだけどそのまま放っておくしかない」と言われる。これは厄介なことになったと食い下がると「それに屋上も研究でとか、緊急でとかじゃないと鍵は渡せない」と言われる。そこで僕は「今も緊急事態です」と笑顔で応えてみて、すると屋根には出ないで網か何かで鳥を取るならいい、鳥が確保できたらまた来なさい、ということになる。網でというのは、つまりまあ大人の表現で、僕はまた屋根に出て鳥を捕まえ、それから研究室のバケツに入れて鍵を貰いに行った。

 屋上に出るのははじめてだった。夕立みたいな雨が降ってきて、避雷針のすぐ横に立ち、今雷が鳴ったら怖いだろうなと思う。エアコンの室外機の下を含め、ありとあらゆる窪みを探したけれど鳥の巣らしきものは一つも見つけることができなかった。考えてみたらこんなに日が当たって熱そうな屋上に巣なんて作りそうにもない。
 雨に濡れたTシャツが肩にまとわり付き、それがなんだか疲れの象徴である気がして、僕は強い空腹を覚える。「巣は見つかりませんでした」と鍵を返しに行くと、「硬いことを言ったけれど、色々あるから」と言われる。もちろんそれは重々承知しているし鍵は貸してもらえないだろうなとも思っていた、ありがとうございます、と事務室を出た。

 巣はなかった、とFさんに報告して「じゃあ動物園かな」「でもやっぱり動物園は忍びない。もうすこし考えます」という話をしていると、イカルの親達が近くの木にやって来た。5,6匹の群れだから親と兄弟かもしれない。これはチャンスだと思い、僕は研究室に走って戻り、バケツから鳥を出して手に乗せて窓を開けた。昨日一度親が来たときも鳥は窓から出て行きたそうにしたけれど、そのときはこのちっぽけな飛行能力じゃ5階から落ちたら死ぬだろうと思って網戸を開けることができなかった。でも今日はさっき4階から落ちても大丈夫だったのを見ている。イカル達は2本の木に別れて止まり、そして親はとてもきれいな声で、兄弟達は「ギャ、ギャ」と鳴いた。僕の鳥もギャ、ギャと鳴き、そして2、3分くらい何事か鳴き交わした後、鳥は窓を飛び出してやっぱり半分落ちるみたいに親鳥の木に飛んでいった。幹の中ほどに着くと、親がすぐに降りてきてそして何かをしゃべったり突付きあったりした。鳥って適当に鳴いているんじゃなくて本当に何か会話してるんだなと思う。ちゃんとお互いを認識していて絆があるのだなと思う。動物園に連れて行かなくて本当に良かった。鳥の親子が何かをしゃべっている光景は嘘みたいに完璧だった。

 しばらくすると親や兄弟はどこか見えないところへ飛び去り、その鳥だけが木に取り残された。でも親の呼ぶ声は聞こえていて、親は絶対にその鳥を見ているはずだ。あとは親がなんとでもするだろう。
 僕はFさんに、それから屋上の鍵を貸してくれた事務室にも鳥を親に返したと報告し、それからパスタとアイスクリームを買って研究室で食べた。当たり前だけどもう部屋に鳥はいなくてバケツの中にも止まり木があるだけだった。窓の外の木にももう鳥はいなかった。廊下で誰かのスニーカーがキュッと音を立てたり、別の似た鳥の声がするたび、なんとなくあの鳥が戻ってきたのかと思いながら僕はビスケットサンドのアイスクリームを齧った。床にこぼれ落ちたビスケットの欠片をあの鳥は食べただろうか。

 
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