many sells in the glider.

 先日、文部科学省が若者はどうしてキレやすいのか脳を研究することに決めた、という衝撃的なニュースについて触れましたが、昨日テレビで評論家の宮崎哲弥さんが若い思想家を指して「文科省が最近の若者は頭がおかしいから莫大な予算、税金を投入してどうしてキレるのか脳の研究するって言ってんのを聞いてなぜ若者は誰も怒らないんだ!」というようなことを言っていらっしゃいました。

 僕はこのニュースに衝撃を受けて、ちょっと皮肉っぽいことを書いて、でもそれは怒りとはちょっと違った。だから、どうして誰も声を荒げて怒らないのかなんとなく分かるような気もします。
 僕達はそれが真実かどうか明確にはしらないものの、やっぱり狂いつつあるのではないかというぼんやりとした不安を抱えているのだと思う。アレルギーの子供が異常に増加しているように、僕達の精神を司るであろう器官、脳にもなんらかの異変が起きている可能性を否定できない。たとえばある環境ホルモンの作用としてイライラしやすくなる、ということがあるのであれば、僕達は生活環境からその物質を取り除きたいと思うし、そういうことはちゃんと研究されるべきだと思う。僕達は毎日ドープされた状態で生きているのかもしれない、ということを僕達は薄々感じていて、ならばそういうことはちゃんと研究してほしいと思う。

 宮崎さんの言われることは非常に良く分かる。教育を考えるべき文部科学省が「最近の子供がちゃんと生きないのは社会や大人の責任ではなくて子供の頭がおかしくなっているからだ」と言うのは滅茶苦茶なわけです。でも、今はその可能性を視野に入れなくてはならないような時代で、それに文科省だってそれで全てを解決しようというわけではないし、冷静に状況を見れば妥当な判断だと思う。

 話は少し変わるけれど、一昔前の日本の企業について「結婚出産した女性が職場に復帰し難い理由」は「独身でなくなったからだ」ということがまことしやかに言われていた。これがどういうことか理解するには企業を単に「企業」と読んだのではいけない。企業はその人の「全て」になろうとしていた。ある人がある企業に就職するということは、その企業に人生を捧げることに近かった。それは精神的にというかシステムとして。まず若い男女が独身で入社して来る。彼ら彼女らは社内という場を通じ恋に落ちて結婚する。妻は寿退社して子供を生み育てる。夫は家庭を守るためにより一生懸命働くし、家庭ができた以上首が飛んではならないと会社の無理難題にも耐える。妻と出会ったのもその会社なので思い入れは深い。このとき企業は一時期「企業戦士」と呼ばれたようなタフな部下を手に入れる。つまり、企業は若い社員を企業戦士に変えるため結婚斡旋所の役割も果たそうとした。従って社内には一定数の独身女性が必要だった。だから結婚してしまった女性はもう職場に復帰することができない。
 橋本治さんの本か何かで読んだのだと思うけれど、僕はこれを読んだときぞっとしました。政略的な結婚みたいなことが市井のレベルでも、ある企業の利益の為に行われていて、そして多くの人がそれに気付いていないとするともう人生って本当になんだよって話だからです。

 今回、文科省のプロジェクトに僕を含めた若い世代が対して強い反感を抱かないのは、実は長い間かけて僕達が文科省に教育されてきた所為なのかもしれないなと思うと、自分の判断というものに対する疑いがますます大きくなる。
 僕達は実は巨大なプログラムの一部なのかもしれない。