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 久しぶりにテレビをつけた。土曜日の朝は9時半から建物探訪という番組がある。30分の短い番組で、毎週ちょっと凝った家を一軒取り上げ、そこを渡辺さんという変わったおじさんが訪ねる、というだけの番組で、週末の朝にふさわしく適度に軽く適度にゆるい番組になっている。どうしても見たいとも思わないし、見て別段おもしろいということもないけれど、土曜日の朝にこの番組を見るというのは結構心地いい。

 この日はある夫婦の暮らす家を取り上げていて、夫の方が饒舌で嫌な感じの人だったのだけど、今は建物探訪のことを書こうというのではない。その後にテレビをつけたままにしていると、週末の冒険家、みたいなタイトルの番組が始まって、大阪にあるfujiya1935という現代スペイン料理のレストランが出てきた。五感で味わう料理だということで、各料理には創意工夫が凝らされていて、お客さんが驚くような仕掛けが施されている。調理にも液体窒素を使ったり、古典的な意味合いでの料理という枠組みを少しはみ出した感じのレストランだ。

 まだ若いシェフはそういった現代スペイン料理、モードスパニッシュというのを、本場スペインの有名レストランで覚えたのだけど、なんとそのレストランのシェフはシェフでありかつ脳外科医だという。そして、彼は「おいしいというのは舌で感じるものではなく、五感で感じたものを脳が統合してはじめて感じるものだ」ということをポリシーにしていて、だから料理は味覚的においしいだけではなく五感の全てを刺激するような驚きに満ちたものでなければならないと考えた。

 大阪の若きシェフも「舌ではなくて、脳でおいしいというのを感じるのです。五感からの情報を統合して、舌ではなく脳がおいしいかどうかを判断するのです」ということを何度か口にした。
 当然、僕は強い違和感を感じた。
 なぜなら、僕達は脳のことなんてほとんど何も知らないからだ。脳のことを知らないという言い方には御幣があるかもしれない。脳の研究は驚くほど進んでいるし、その一つの応用である脳外科の手術なんて、アーサー・クラークが言ったみたいにもう魔法にしか見えない。

 だけど、それでも僕たちは「自分がおいしいと感じること」と「脳がなんらかの情報処理をすること」の間にある大きな、はっきりいって絶望的な隔たりを認識せざるを得ない。脳がこれこれこういう状態にあるとき、どうやら私達はおいしいと感じているようです、という現象論までは解明できる。だけど、その脳の状態と僕達の意識に上るおいしいという感覚の関係というのは分かりようがない。たぶんその先にアプローチする術を我々の科学は持たない。例に昔流行った「おばあさん細胞」というのを上げてみると、被験者がおばあさんを見たときに、つまりおばあさんを認識したときに脳がどうなっているのかを詳しく調べていって、仮定の話だけど、ある一つのニューロンがおばあさんを見たときにだけ発火することが分かったとする。そうかおばあさんを認識するということはこの細胞が発火することなんだ。という1対1対応が確認される。それで? このニューロンの発火がある認識である、というのは何の答えにもなっていない。細胞の電位が変化することと、僕達の意識が持っているこの生々しい実感というのを繋ぐものはそこにない。どこまで脳を詳しく調べようが同じことだ。脳のメカニズムが精査されても、意識とはほとんど関係ない。

 それでも、データとして五感からの入力が「おいしい」につながっているようだ、という類推は現代の脳科学からして妥当だとは僕も思う。それが間違っていると言うつもりは全然ないし、よりおいしいを求めるレストランのシェフが方法論にそういった考えを取り入れることはとても正しいと思う。
 僕が感じた違和感というのは、あまりにも多くの人が「脳」という言葉を使って何かを説明するけれど、それが別に説明でもなんでもない場合が多いことに気づいているのだろうか、と思ったからです。「こうすると脳が喜ぶので学習効果が上がる」みたいな話のことです。そういう語り方は本質的に「雷が鳴るのは空の雷神様が怒っていらっしゃるからだ」というのと同じだ。「脳が喜ぶので学習効率が上がる」というのは多分現象として正しい。脳が喜ぶというのは変な言葉だけど、脳が活性化するということを表現んしているのだろうし、活性が高いほうが器官の仕事効率が高くなるのは当然だと言える。シビアに捕らえるならほとんどトートロジーだ。そのとき僕たちは「脳」という言葉を使って、本当は何を表現したいのだろうか。脳、という言葉では本当は何も説明できない、ただ、僕らはその奥にあるであろう何かを表現する術を持たないのでとりあえず脳という言葉を使っている、たとえば神が何かを誰も知らないのにとりあえず神という言葉を使うように。脳という言葉を使うときにはそれくらいの自覚が本当は必要なのではないかと思う。

 金曜日;
 夜BMXの練習をしていると警備員が現れて「警報装置のスイッチ入れたから、もうここからは出て行ってくれないと警報がなっちゃうから」と大嘘を言う。こういうのは大人の嘘なので仕方ない。そうかここは11時に警備員が来るのかと思う。それにしても警備員というのはどうして一人で巡回してるんだろうか。あまりにも危険だと思うのだけど。

 土曜日;
 Hちゃんがメディテーションを習いに京都に来るというので、お茶をしてから送り出すと、しばらくして「逃げてきちゃった」とメールが来てすばやくご飯を食べて門限に間に会うようにぎりぎりで駅まで送る。