hiragana片仮名カンジ。

 Runge-Kutta法を久しぶりに使おうと思ったら忘れていたので、資料を探していると昔書いた作文が出てきました。記念に載せておこうと思います。もしも時々このブログを、結構長い間に渡って読み続けている方があればすぐに気が付くと思いますが、やっつけ仕事でさっと書いたレポートで、ほとんど昔の日記の切り貼りです。
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エクリチュールとしてのひらがな、カタカナ、漢字について』

“私”、“わたし”、“ワタシ”。
 この文章をはじめるに当たり、一人称を日本語の“watashi”に決めた。しかし、まだ“私”か“わたし”か“ワタシ”の、どれを使うかは決めかねている。もちろん、これは論文の一種なので、漢字で“私”とするのが正式であろう。だが、選択肢としては平仮名“わたし”を用いることも、片仮名“ワタシ”を用いることも可能であり、この選択は多かれ少なかれ、以後の文章と私の思考に影響するのではないか。
 Roland Barthesは1953年に『エクリチュールの零度(Le Degré zéro de l'écriture)』を発表し、その中で 「エクリチュール(écriture)」という言葉を術語化した。私達は言葉を用いて思考したりやコミュニケーションをとったりするが、それは本質的には自由なものではない。言葉の使用には常に規則が付き纏い、その規則は私達の思考方法に大きな影響を与えている。Barthesによれば、この言語使用に付き纏う規則には「ラング(langue)」と「スティル(style)」の二種類が存在している。
「ラング」というのは、「ある時代、ある地域の書き手全員に共有されている規則と習慣の集合」のことで、これは何々語というときの語という言葉に極めて近い。たとえば、日本語でこの文章を書いている私にとっての「ラング」は日本語である。私は今、日本語に存在する単語を日本語の文法に則って運用することで文章を組み立てている。私達は完全に出鱈目な言葉で文章を作ることはできないし、必ず何語であれ、ある言語体系を用いる必要がある。
もう一つの「スティル」というのは、私達が知らず知らずのうち身に付けてしまった、その人特有の言葉使い、癖のことだ。文章のテンポや単語の好み、一文の長さ、点の位置、そういった文章を構成する様々な要素に書く人の癖が表れる。無論、これらは癖であり意識的にコントロールすることはできない。
上記「ラング」と「スティル」の2つを、それぞれ私達は言語運用に関する外側からの制約、内側からの制約、と考えることができる。Barthesの術語「エクリチュール
とは、いわばこの「ラング」と「スティル」の間にあって、私達が意識的に選択できる言葉使いのことである。「ラング」と「スティル」に挟まれて不自由な中にあってなお、私達は「自分がどのような種類の文体で書くか」を選択することができる。たとえば、政治家らしい文体、教師らしい文体、ギャングらしい文体というようなものが世界には存在しており、私達は自分がどのような文体を使うのかを選ぶことができる。このとき選択する文体のことをBarthesは「エクリチュール」と呼んだ。
 たとえ同じ人物が同じ対象について語ろうとした場合であっても、その人が選択する「エクリチュール」が異なれば異なった考えが導き出されることは容易に想像が着く。政治家らしい文体はその人の思考を政治家のようなものに変えるし、教師らしい文体はその人の思考を教師のようなものに変える。もっと端的に、文体を選択する以前、一人称を選択することを考えてみても良い。例に日本語の一人称“私”“俺”を考えてみよう。“私”というのは比較的丁寧な一人称であり、強さや荒さは含まれていない。対して“俺”というのは強くて荒々しい一人称である。だから、「私がそれをさせて頂きます」というのは自然な文章だが、「俺がそれをさせて頂きます」というのは不自然だ。もしも“俺”を用いるのであれば「俺がする」というようにぶっきらぼうな表現が適当である。つまり、私達は一人称を選択した時点で、その後に続く文章への制限を選択したことになる。“俺”を使うのであれば、以後丁寧な表現は使うことができないし、それは言語と思考がとても近いものであるゆえに丁寧な思考を放棄することにも繋がる。
 漢字を用いない言語においては「エクリチュール」に関する問題を以上の範囲、つまり文体の選択あるいは単語の選択までの範囲で考えれば良かった。“私”で文章を書くことと、“俺”で文章を書くことの差異を考えれば良かった。しかし、漢字、平仮名、片仮名の3種を持つ日本語について考えるのであればそれでは不十分だ。なぜなら日本語の使用者は単語を選択したあとに、その単語を漢字で表記するのか、平仮名か、それとも片仮名かを選択する必要があるからだ。“私”という一人称を選択したあとに、さらにそれを漢字で書くのか、平仮名で書くのか、片仮名で書くのか決めなくてはならない。ただし、これは比較的新しい時代の話だ。
 ここで簡単に日本語の文字について通史を見ておきたい。
 日本にはもともと文字文化がなかったため、5世紀ごろ大陸から漢字が入って来ると最初はそれをそのまま用いるしかなかった。もちろん人々は普段、日本語で話し日本語で思考していたので、頭の中は日本語なのに文字に表すときは外国語である漢文を用いるという分裂状態がここで発生する。つまり、思ったことをそのまま文章に綴るという方法を私たち日本人は文字使用の黎明期に持っていなかったのだ。
 この思考と表記手段の間に横たわるギャップを克服するために、日本人は相当な時間を費やした。平安時代になると、漢文を読む補助的な文字として片仮名が生まれ、日本語の音に対応する文字を漢字から作り出そうと平仮名が生まれた。そうして鎌倉時代ようやく和漢混交文に辿り着く。しかし、まだ人々の話す言葉と書く言葉の間には大きな溝がある。さらに500年以上の時が流れ、1887年(明治20年)、日本近代文学の幕開け、坪内逍遥の「小説真髄」に不満を覚えた二葉亭四迷が「浮雲」を発表。これが日本初の言文一致を目指して書かれた小説であった。
 それからまた1世紀近い時間が流れた1976年、当時24歳の村上龍が「限りなく透明に近いブルー」で芥川賞を受賞し、1979年には村上春樹が「風の歌をきけ」を発表、そして1987年にはよしもとばななが「キッチン」を世に送り出し、ここに来て言文一致は完成の域に達した。1987年に完成というのは遅いように見えるかもしれないが、漢字、平仮名、片仮名を自由に駆使して書かれた文学作品というのはせいぜい60年代、70年代からだと思われる。
 私は、単語を決めた後にそれを漢字、平仮名、片仮名のどれで書くのか決めるのは比較的新しい時代の話だ、と書いた。平安時代になるまでは漢字しか文字がなかったし、平安時代になって平仮名と片仮名が発明されても、「男は漢字、女は平仮名」で書くことが決まっていた。鎌倉時代に和漢混交文ができて、漢字も平仮名も混ぜて書くとなっても文章字体が至って不自由なものだった。文章作成と文字使用の為の規則や固定観念というものが、近年に至るまで強く存在していた。私は「限りなく透明に近いブルー」で登場人物の名前が日本人であっても片仮名で書かれていることに驚いたが、それは私の中に名前は漢字で書くものだという固定観念があった為だ。近年の日本語はそのような制約からほとんど解放されつつある。日本語使用者は今や躊躇いなしに、あらゆる単語を漢字、平仮名、片仮名、数字、アルファベットで書くことができる。これは文体や単語の選択が私達の思考に及ぼした影響の、さらに細かい次元の影響を日本語使用者の思考に与えているのではないか。
 言葉は思考の根幹を成す。従って、言語表現の多様性は思考の多様性に相関を持っていると考えられる。だから、ある権力がある地域を治めようとするときには言語の整備を図ろうとする。言語を統一することは思想を統一することに繋がるからだ。現在、日本で使われている標準語は明治時代に作られたものだが、その目的は明治政府が人民を管理する為だったし、他国の領土へ侵攻した際にはもともとの住人に日本語を強要した。逆に、文字表現の自由度が高い、選択肢が多いというのはより多岐に渡る思考の発現を助ける。
 私は『IAG BARI-Brass on Fire (炎のジプシーバンド)』という、ルーマニア北部出身ブラスバンド「Fanfare Ciocarlia」のドキュメンタリー映画を見たとき、ワールドツアーでいくつかの国を回るシーンで奇妙な感覚を覚えた。ワールドツアーのシーンは映画の後半部にあり、それまでの鑑賞によって私の視点は「Fanfare Ciocarlia」に同調していた。ベルリン、ニューヨークなどの都市を次々に回り、彼らが東京に来たとき、バンドの視線で物事を見ていた私は東京だけが持つ異様な雰囲気に驚いた。もちろんバンドのメンバーも奇妙な雰囲気に驚いていた。東京だけが実に混沌としていたのだ。この東京という街が象徴的に表している日本の「混沌」「こんとん」「コントン」は、日本語使用者の「使う文字の選択」という、より細かい次元におけるエクリチュールの選択が生み出した結果だと言うこともあながち見当外れではないように思う。
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