bike.

 私は、昨日、自転車に乗っておりました。夏が近くなり、いくら日が長くなったとはいえ、もう夜の8時も過ぎて、それはすっかりと暗い夜だったので、きちんとランプも点灯して、まっすぐに走っていたのです。やがて、下鴨本通りを下がっていますと、正面から一人、初老の男性が同じように自転車に乗って近づいてきました。彼はランプも点けていないので、私は危険な人かもしれないと思い、ポケットに入れていた左手も出して、やや慎重に自転車のハンドルを握りなおしたのでした。彼は、その爺様は、何か気になるものが左側にあったのか、左を見つめたままこちらへ近づいてきます。私の存在には一向に気を払いません。それは全く馬鹿気た行為でした。なぜなら、ついしがた、爺様は私の存在を離れたところからでも確認しているはずだからです。特別な物理学の勉強をしなくても、常識的な人間の感覚があれば最接近時刻がいつになるのかは簡単に予測ができたでしょう。左に何があるのか知りませんが、そろそろこちらへ目を向ける時期が来ているのです。
 ところが、その老人はこちらへ目を向けることはなかった。私は、彼がその先進むであろう進路を予測した上で、衝突を回避する為の進路を選択して進んだのであるが、なんと、老人はすれ違う直前急にこちらへ進路を変えたのである。私に心得がなければ衝突は必至であったろう。だが幸いなことに私も幾許かの鍛錬を積んでいる。私は瞬間的に後方を確認し、縁石を乗り越えて衝突を回避した。そのとき、後輪のブレーキが大袈裟に音をたてたので、周囲の、信号待ち、バス待ち、コンビニ前、の人々がこちらをキッと見た。お困りの方も多いであろう。スポーツ車ではない多くの普通な感じの自転車についている後輪のブレーキはバンドブレーキという名のちゃちなブレーキで、あのうるさい音が出るのは構造上の宿命である。どうしてこのような物が堂々と市場に出回り市民権を得ているのか理解できない程度の代物である。全く危なげのない状態で、ゆったりとした気分でブレーキと掛けたとしても鬼気迫る音を立てるこのブレーキの存在が、どれだけ街行く人々の安静を妨げていることだろうか。それはゆったりと自転車に乗っているあなたを瞬時に危険人物に変える。
 悪いことに、このとき私はヘッドホンをして音楽を聞いていた。イヤホンおよびヘッドホンをして自転車に乗る人が増えて、それが危ないから禁止したらどうか、というような議論が起こる昨今である。「イヤホンで自転車6%の人がヒヤリ体験」というような見出しが躍る昨今である。キーっという鋭いブレーキ音がして、そちらをはっと見てみればヘッドホンを付けて自転車に乗った若者と老人が自転車でぶつかりそうになっている。いかにも私の方が悪いみたいではないか。しかし、断じていうが、私は最善を尽くしたのである。悪いのは彼なのだ。ノールック、ノーモーションですれ違いざまにこちらへぶつかってくるという卑劣なことをしてきたのは彼なのだ。というのを見抜ける鋭い目を持つ人はあの場に何人いたのかな。なんて思いながら、僕は曲を3曲送ってgirlsを聞き始めた。