vision.

 僕の友人である、ある女の子は、かつて飛ぶ鳥落とす勢いのDJだった。ただ、僕達が出会った頃、彼女はすでにそうしたことから遠ざかりつつあったので、僕には彼女がDJだという印象はほとんどない。パーティーをオーガナイズしたり音楽の仕事をすることから離れて、かわりに彼女が力を入れたのは哲学だった。はじめて僕達が会ったのはメトロでのことで、その夜僕はコンタクトレンズの調子が良くなくて、それでテーブルに座って一度コンタクトレンズを外すことにした。そのとき向かい側に座っていて「目痛いの、大変ね」というようなことを言ったのが彼女だった。それから彼女は自分が次の月だかその次の月だかにするイベントのフライヤーをくれたのだけど、そこには比較的長い文章が書かれていて、「作家にでもなりたいのか」という質問を僕はした。「いいえ、哲学なの。もともと数学やってたんだけど」 そうして僕達は友達になった。

 その女の子は今ヨーロッパにいる。もちろん哲学の研究をしているわけだけど、日本を経つ前の2年間くらい、彼女とはほとんど会っていない。彼女はわき目も振らずに勉強していて、わずか2年くらいの間に英語はもちろんフランス語もドイツ語もラテン語もアラビヤ語もマスターし「哲学やるなら英語フランス語ドイツ語ができるのは普通のことなのよ」とさらっと言って、「5年は戻らないかも」とさらっとヨーロッパに飛んでいった。

 彼女はその2年間、本当に血が滲むような努力をしたと思う。
 それで、僕は今自分がそういう期間に入ったことを自覚しています。誰も誘わないで週末の夜に勉強したり、せっかくの誘いを断って勉強したり、そういうことをしているととても不安になる。自分の専門分野に関係のない本を読むのをやめることは何かを損なうのではないかという不安を伴う。ギターを長い間弾かないとどんどん下手になることも分かっている。情報から目をそらすとあっという間に音楽とかアートとかデザインとかのシーンからおいてかれるのも分かってる。何かの研究や創造が孤独な作業だと呼ばれることは昔から知っていたけれど、このところでは少しずつ身にしみるようになってきた。僕は莫大な時間一人で勉強したり研究したりする必要がある。必要があるだけではなく、今はそうしたいと思う。僕は生まれて初めて目標みたいなものを持ったと思う。何かにこだわるつもりはなかったけれど、どうしても守りたいものと、どうしても譲れないものが、実はどうやら僕にもあったようです。