あの人は丘の上に住んでいるという。

 はたして物理学はどこまで行けるのだろうか。と時々思う。
 僕達の限定された認識と思考では、もしかしたらもうこれ以上あまり遠くに行けないのかもしれないなとも思う。でも多分そんなこともないのだろうな。限界まで、はるかに先は長いのかもしれない。
 この世界をコンピュータの中に構築された世界だとすれば、物理学者は今のところCもJAVAもFORTRANもCOBOLも、たくさんのプログラミング言語を理解するようになったと言えるかもしれない。自分達の住む世界が一体どういったルールで動いているのか、そのアルゴリズムとデータ構造と各プログラミング言語の文法を知りつつあるのかもしれない。やがて、僕達は世界を注意深く観察することによって、この世界の限界に見えるような所へ到達するだろう。つまり統一理論のようなものに、でもきっとそれはコンピュータのアナロジーで言えば所詮は0と1だけのマシン語だとかブール代数を知ったというくらいのことでしかないのだろうと思う。もしもコンピュータの中に人類が住んでいるのだとすれば、それより外の世界なんて果たして本当に見ることができるのだろうか。「そうか、全部0と1でできてるんだ」ということで話は終わってしまい、ビットが何で構成されているのか、何によって0と1は担保されているのか、なんてことは知りようがないように見える。半導体の存在と仕組み、各信号を担っている電圧、電磁気の働き、そういったものを想像することは可能だろうか。ソフトウェアの中に住んでいるのだとしたら、僕達はハードウェアのことなんて知ることができるのだろうか。

 これは難しいというか、ほとんど不可能に見える。たとえばある集積回路にとって、1V以下の電圧は0、それより高い電圧は1とする。ソフトの中の人類が、もしもがんばって0と1で全部が記述されていることに気がついたとしても、0という信号を担う電圧が実際には何ボルトの電圧なのかは知りえない、それは0Vでも0.1Vでも0.9Vでも有り得るし、実際の回路を見ないことには電圧は分からない。
 と書きながら、もしかしたら知性をフル活用すればなんとかなるような気分もしています。だとしても、その電流が半導体を流れていて、それが基盤に載っていて、なんてことまではやっぱり分かりそうにないように見えます。