a cup of noodles.

 東京のAから、絶対見るようにと言って古いカップヌードルのCMが送られてきた。




 僕達というのは本当に進化しているのだろうか。進化という言葉に御幣があるとすれば、変化しているのだろうか、という気分になる。

 高校生のとき、僕は本人とは面識がないけれど、友達の友達がCMをビデオに録って集めているコレクターだった。そういう人達が今どんどんとネットにアップロードして、お陰で僕達は巨大な情報の塊にアクセスできる。もしも僕がCMを社会の関係を読み解く社会学者や何かだったら、ここであっさりと数十年前のCMを動画で示して、それに解説をつけるということができるわけです。これは信じられないくらい便利なことですね。

 それで、カップヌードルのCMをはじめ、ポカリスエットだとか色々なCMを見ていたのですが、途中でふと糸井重里さんのことを思い出しました。別に糸井さんがコピーを書いたCMを見たからだというのではなく。僕の好きなCMのたくさん作られた年代がもしかしたら「糸井仲畑一行百万円」の時代なのではないかと思ったからです。それはバブルだといえばバブルなのかもしれないけれど。

 糸井さんが、彼のもっとも有名なコピー「くう ねる あそぶ」を日産のコマーシャルに載せたのが1988年で、その同じ年には「となりのトトロ」のコピー「このへんないきものは まだ日本にいるのです。たぶん。」というのも書いている。これは「もういない」だったのを宮崎監督が直したという話もあるけれど、それにしても完璧なコピーだし、最後の「たぶん。」なんてもう憎いくらいのものだ。
 僕は1988年には9歳だった。だからこの時代に流れていたコマーシャルを懐かしく思うだけなのかもしれない。でも、なんだかやけにドラマチックでロマンチックに見えてしまいます。