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 バイオ燃料ジェット機が試運転か何かという記事を見て、すこし変な気分になりました。バイオ燃料の発達ってどうしてこんなに遅いのでしょうか。発達というかなんというか、植物から油を絞るのはずっと昔からやっていたことですよね、きっと。素直にその油を燃やしてエンジンだとかなんかを動かすほうが、地下深くから原油を掘り出して、それをプラントで精製して使うよりもずっと簡単に見える。今、基本的には石油で世界は進んできて、そうしてこれからその「代替燃料」としてバイオ燃料に手が伸びたわけですけれど、そうじゃなくてもともと世界が植物の油を燃やしてここまで来ている可能性の方が大きかったのではないかと思うのです。その方がシンプルで簡単に見える。そして誰も石油なんてわざわざ掘らなかった。植物オイルで動く高性能エンジンを作り、植物オイルからプラスチックを作る。そういった世界。どうして石油なんてわざわざ掘るようになったのだろう。

 同じようなことが電気自動車に関しても言える。もともと発明されたのは電気自動車の方がガソリン自動車よりも早い。昔はバッテリーが貧弱なものだったので、あっという間にガソリン自動車が世界を占領したけれど、エンジニアがもっと電気自動車に固執していればバッテリーだってもっと早く発達しただろう。
 なんとも奇妙な気分を拭いされないのは、電気自動車はガソリン自動車に比べれば馬鹿みたいに簡単に作れるからです。これはちょっと想像して頂ければすぐに分かります。エンジン一つとっても、その機械的な設計、素材の開発、オイルの開発などがあり、さらにエンジンにガソリンを噴射して送り込むキャブレターを設計し、状況に応じた最適な噴射量を計算し、エンジンを冷やすためのラジエーターを作り、排気ガスを外に送り出すマフラーを付け、排気ガスの毒性に注意をして、エンジンの騒音を抑える工夫をして、まさにテクノロジーの結晶です。
 ところが、電気自動車ときたら全く簡単なもので、モーターとバッテリー、以上です。今からガソリン自動車のメーカーを立ち上げるのはかなり大変ですが、電気自動車なら中学生にも作ることができます。バッテリーが良くなかったから、ということを無視した場合、今までのガソリンエンジン技術って一体なんだったんだ、という気分がどうしても少ししてしまいます。もちろんそれはそれで、そこからのスピンオフもたくさんあったのだと思いますが。でも、その労力をバッテリーの開発につぎ込んでいたら、という気持ちも少しあります。

 これは結果論に過ぎないけれど、良く考えれば50年前に予想して計画できたことなのではないかとも思うのです。もしかしたら僕達は目先の何かにとらわれてばたばたあちこち動き回っているだけなのかもしれません。一番大事なことは人間関係に尽きるので、別にガソリンエンジンの時代が駄目だったということを言いたいわけではないです。どんなテクノロジーの元に生活していても、だいたいは等価だと思います。無駄でもなんでもない。

 ただ、無闇矢鱈に簡単なことを難しくしすぎていることに気が付いていないことがあるのではないかと思います。先日インドで空気で動く車を発売するという報道がありました。タンクに空気を圧縮して詰め込んで、その圧力で走るわけです。子供のおもちゃの延長というかあまりにもシンプルというか。

 こういう一見シンプルな技術が実用化され始めているのは、その裏にとんでもないハイテクの蓄積ができたためなのかもしれないけれど、不思議な気分は消えません。冷蔵庫もまだヒートポンプもものがほとんどだけど、コンプレッサーで媒体圧縮してって、うるさいし21世紀の製品には全然見えませんよね。冷却性能が劣るので普及していませんが、ペルチェ素子という、もう電気を流せば熱を動かすことのできる半導体があって、一部の小型冷蔵庫には使われています。将来的には機械的に動く部分というのはどんどん減って、なぞのマテリアルでできた固体が何でもこなすようになるのだろうと思います。ハードディスクからフラッシュメモリに移行するように。それはもう魔法のような世界で、それこそ時計を分解して機械の仕組みを学ぶみたいな実体験的学習は減るのだろうけれど、人類はそのころには別の学習手段を習得しているに違いない。