fifth part.

 ジュリアン・ジェインズの本を、途中でやめたといいながら、またパラパラと見てみるとどうして古代の文献は詩の形式で書かれているものが多いのかということが分析されていました。それは二分心における神の声は右脳の働きのよるものだからだ、ということです。興味深いことに左脳に障害を負った患者で言葉を話すことができなくなった人も歌は歌うことはできる。昔の詩というのはもっと音程に強い意識が向けられていた。

 もちろん、これも唯の推測に過ぎないと著者は書いているけれど、やっぱり面白い本だと思います。

 古代の人々は今の僕達がもっているような時間の観念もないし、ましてや一生なんていう概念もなかった。なのにああした年代記みたいな詩が残っているのは右脳の働きである神の声がそれを語ってくれたからだということです。その人自身は自分という意識も昨日という記憶も持たない、ただ右脳から流れ出す詩にそれが語られている。自分は無知であり神は全知全能だった。べつに昨日あったことやなんかを神の声は言っているだけなんだけれど、無意識で記憶を持たない「私」にとってそれは知られていないことなので別世界のことを神が語ってくれているように聞こえた。

 こういう話を読んでいると、なんて昔の人は哀れな、とポストモダンに生きているにも関わらず現代の感覚で思ってしまう。積み上げてきた自分の人生を知らないなんてと。もちろん、無意識で生きているのと意識的に生きているのではどちらが良いのかという議論はできないけれど、やっぱり今の僕にとって過去が全部消えてしまうような無意識生活は恐ろしく思える。だから想像してちょっと怖くなっていたのですが、考えてみれば未来の人類から見れば僕達も同じような状況にあるのかもしれません。つまり、未来の人類は意識より上位の仮に「メタ意識」とでも呼べるようなものを獲得していて、「昔の人ってメタ意識なかったらしいよ。かわいそう」みたいな感じになるのではないでしょうか。多分そうなるのだと思います。そのとき、もしかしたら今の僕達が持っている「自我」だとか「記憶」というものは、古代人の「神の声」に相当するなんだか得体の知れない野蛮なものとして捉えられるのかもしれない。これも多分そうなるのだと思います。

 肝心な部分を読んでいないというか、どうして神の声が聞こえなくなって意識が芽生えたのかという章をちらりとしか見ていないので、詳しいことはわからないのですが、ざっと見たところ神の声から意識に移行した理由は社会が大きくなって制度の維持が神の声ではできなくなったからです。5人が一つの像を見て幻聴を誘発され、それで集団ヒステリー的に同じ意図を持った神の声を聞くことは容易いですが、1万人となると話は変わってくる。文明や社会の進歩が人から神の声システムを奪って意識を与えた。これがだいたい3000年前くらいだというのがジェインズの説です。それが本当だとしたら、僕達はきっと次のステップを持っているのだろうな。情報化とハイテク化が進んで、テクノストレス症候群が発生して、携帯のメールを四六時中チェックして、引きこもりになったり欝になったり自殺したりする人の数が急激に増加して、もしかしたら僕達の用いている現行の「自意識とか記憶とかで生きる」というシステムは崩壊へ近づいているのではないかとも思います。ちょっとこれは言いすぎかなとは思いますが。でも次に何かがあるのだとしたら、それはどのようなものだろうと、想像ができないものであっても考えないではいられない。