bicameralism.

 途中で読むのをやめてしまいましたが、しばらく前までジュリアン・ジェインズという心理学者の書いた「神々の沈黙」という本を読んでいました。これはかなりインパクトの強い本で、嘘か真かは知りませんが「20世紀でもっとも重要な書物」というような紹介もありました。

 内容は実に過激です。少なくとも僕はこの本を読むまでそういったアイデアを持ちませんでした。一言で言うと

 「人類が意識を獲得したのは高々3000年前くらいで、それ以前の人には意識はなく、単に頭の中で聞こえてくる”神”の声を聞いてそのとおりに動いていた」

 というものです。つまり、古代ギリシャやエジプトの人々には僕達が今持っているような”意識”はなかった。
 卒倒しそうになる意見ですが、一級の心理学者として、いかに我々の生活に意識が「使われていない」のかを最初に詳しく解説し、その上で仮説として「古代人には意識がなく神の声(分裂症患者に見られる幻聴のようなもの。著者は逆に分裂症患者が幻聴を聞くのは古代人の名残だと考えている。)を聞いて行動していただけだ、というものを立てる。ついでその仮説に則って古代の文献や遺跡を分析してみる、というスタイルで、もちろん古代人の意識についてなんて科学的な証拠はないので「これは仮説にすぎない」と著者も何度も書いているけれど、でも面白いです。
 意識を持たず頭の中で聞く神の声に従って行動することを「ニ分心」と名付けていますが、ニ分心でかなりバイアスが掛かっているものの比較的論理的に古代文明が読み解かれます。古代人には神の像は単なる偶像ではなくて本当に神そのものだった。像は幻聴を引き起こすトリガーになっていた。同じように死体も幻聴を起こすトリガーとなっていたので古代人には死者の声が幻聴としてだけど本当に聞こえていた。だからお墓の中に色々な生活用品や食べ物や生贄を入れた。というような視点は僕にはとても新鮮なものです。

 そうだ、無意識はともかく、どうして神の声なのだ、ということを思われる方があると思いますが、この神の声が仮定されたのは古代の文献なんかでは神の声を聞いてどうこうしたという記述が多いためです。それを文学的な修飾だというのではなく、素直に本当に神の声を聞いていたのではないかと解釈したものです。

 もちろん、古代人には意識が無かったという意見はとても過激だし、とんでもない仮説だと思う。だけど、本来は昔の人にもずっと今の人間と同じように意識があった、というのも証拠がない以上仮説にすぎない。仮説というか単なる思い込みで、その昔恐竜の色がトカゲからの類推で茶色だとか緑だっただろうと思われていたのと同じことだ。今は恐竜の色はもっとカラフルだったかもしれないし、よく分からない、というふうに素直に認められている。

 面白いと言いながら、読むの途中でやめたのは、最初の方だけで大体のところは分かったのと、あと遺跡や文献の分析はいかんせん証拠がないので「まあそうかもしれないけれど」という感じを受けるし、本は日本語版で600ページくらいあって結構長いからです。他に集中しなくてはいけないことがあるときに600ページの本を読むのは余程のグルーブ感がある本で無い限り「そうだ、こんなことをしている場合ではない」と我に返ってしまって読み切れるものではありません。でも、とても面白い本だと思います。