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 今できることがなくても、まずは知ることが大事だ。という風に諭してくれる人もいるけれど、実際には知るだけでは何の意味もないし、ある意味ではこれは自分は知っても行動できないけれど、でも伝えていくうちに誰かが行動を起こしたりでもしてくれるんじゃないの、というような他力本願な考え方でもあると思う。自分じゃないけれど、でも多くの人が知れば誰かが何か始めるだろうという淡い希望のことだ。それは勿論悪いことではないし、実際に有効な戦略ではあると思うけれど、知ることが大事だと声を大にして、それで色々な問題を知るだけ知って偉そうに語って謎のカタルシスで終わり、という人々を見ていると絶望的な気分になります。さらに悪いことに僕にだってその傾向はあると思う。それに僕達はメディアで取り上げられている問題についてそんなに詳しく知ることはできないので、大抵のメディアに出てくる問題に対する市井の意見というものは浅はかな感情論でしかない。何かがテレビで流れたとき、ウェブには沢山の匿名で書かれた傲慢な意見が噴出して、僕はずっとそれらを忌み嫌ってきた。だけど、最近はもしかしたらこの謎の匿名性の塊だって一つの希望になるのではないかと思うこともある。

 なので、というよりも、最近あることがあって、これからはあまり我慢したりすることをやめようと思っただけですが、メディアの悪口みたいなことも少しは書いてもいいかなと思っています。もちろん只の愚痴の垂れ流しですけれど。

 ウェブの書き込みが希望になり得るのではないか、ということを感じたのは今回の橋本府知事就任を受けた一連の報道に関して、実際に自分がテレビから得た感覚とウェブにおける書き込みが大方一致していたからという理由によります。

 橋本知事が当選した日、僕は最近調子の悪いテレビの映りをチェックしようとたまたまテレビをつけて、それでニュースゼロという報道番組に知事が出ていたのですこしそれを見ていました。するとそのニュース番組のキャスターは橋本知事に色々と嫌味なことを言っていて、どう考えても彼は日本語を話すことができないようだったので、正直なところ僕は不愉快を通り越して不安になりました。
 僕はそのテレビ番組をはじめて見たのですが、どうしてこんな変な人がキャスターをしているのか全く理解できなかったのです。テレビ番組の制作には莫大な労力と費用が掛かっていて、さらにこれは報道番組で、その顔となる人物がどうして彼なのだろうと思いました。製作陣には当然かなり有能な人材が集結している筈ですが、その人たちがゴーサインを出したということはそこにはそれなりの狙いがあっていいはずです。僕はそれを全く読み解くことができなかった。なので、ウェブでその番組のことを検索してみたのですが、そこに発見されたのは山の様なそのキャスターに対する文句でした。それで、僕は少しなんとなくほっとしたわけです。

 同じことが先日話題になっていた府知事登場のNHK番組についても言えます。僕は後日youtubeでこの番組を見たのですが、日本語の会話ができているのは知事とあと3人のコメンテーターの人だけでした。うち1人女性コメンテーターの方は書き込みでいくらか批判されていましたが、視点の置き場所に賛同するかどうかを別にしてコミュニケーションということを考えれば彼女は至ってまともだった。
 司会者の女の人は先に用意してきた「悪の橋本」みたいな構図を無理矢理適用しようとして全て失敗に終わり、人の言っていることを何も理解していないし、平松市長はとりあえず何を言っているのか良く分からないという話し方を多分意図的にしていた。
 これもNHKに抗議が来て、NHK側が批判されたということを聞いて随分安心しました。

 実はインターネットの最大の恩恵が今立ち上がろうとしているのではないかと思います。インターネットというのはマスメディアよりも大きな、いわばメタマスメディアとでもいえるもので、情報の共有というのはそこで行われる形に移行した。
マスメディアにも当然ちゃんとした人は沢山いて、その人々からちゃんとした情報やメッセージが発信されることもあるけれど、中には訳の分からない人も沢山いて、僕達はそれらを吟味する場所を今まで持たなかった。近所や学校や会社というのはそれらに相当するのかもしれないけれど、規模が全然違う。21世紀になってようやく日本人は大好きな「世間」というものを実体として手に入れたのではないかと思う。

 マスメディアの描くシナリオは、それが変な場合明らかに多数の人間の批判に曝されて、やがてというか既に信頼感はなくなって、乖離はどんどん浮き彫りになるように見えます。






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