line a bookshelf.

 どうして今までそんなことに気が付かなかったのか、と言われそうですが、僕は今日生まれて初めて電柱がテーパーを持った円錐台だということに気付きました。これまで只の円柱だと思っていた。28年間電柱を何度目にしたことか考えると恐ろしい限りです。それも、普通の電柱を見ていて気が付いた訳ではありません。信号待ちをしていたら目の前にトラックが停まり、その荷台に電柱が載せられていたので、僕は横に倒された電柱をまじまじと眺める機会を得たのです。それも、見て最初から分かったのではなく、電柱のような物を運んでいるな、でもテーパーになってるから電柱じゃないのかな、と暢気に思っていて、はっとして周囲の電柱を見てみると全部テーパーが付いていた、というわけです。本当に吃驚してしまいました。

 引越しの準備が、案の定思ったよりも大変です。「案の定」と「思ったより」は形容矛盾に見えますが、これは僕の個人的な特性なので僕としては矛盾でもなんでもありません。僕は物事を簡単に考えすぎる癖があるので、なんでも「すぐにできる」と思ってしまうのですが、どうやら世の中はそんなに甘くもないということが流石に分かってきて、しかし自分の感覚としては「すぐにできる」というのを消すこともできません。だから、「すぐにできる」と「そんなに簡単には行かない」が同居する形になってしまっています。
 これはなかなか奇妙なことです。僕は日曜日に引越しをするのですが、もう2、3日前から引越しの準備は始めています。心の中では「引越しの準備なんて1日あればできるから土曜日にすればいいじゃないか」と思いながら、「きっとそんなに簡単でもないはずだから、早めに始めたほうがいい。早く準備が終わっても困ることはないじゃないか」と言うもう一人の自分に説得されてしぶしぶ準備を始めました。

 実際に準備を始めると、押入れの中からは古いバイクのパーツだとか粘土だとかアクリル板だとか何かの電子回路だとか、それに2度と見ないようなノートの類、コラージュに使えるかもしれないと集めた大量のパンフレットやフライヤーが出てきて、それはもうゴミだらけだし、中には思い出の品もあって仕分けをしないわけにもいかないので、全部に目を通しているとあっというまに時間はなくなってしまいます。さらに引越しの常として、あまりに懐かしい物が出てきたときにはショックに打たれてしばらく身動きすることができません。僕が引越しの準備を今夜からはじめると言ったとき、Oが「あまりナイーブにならないように」と助言をくれたまさにそのとおり、引越しには肉体的にも精神的にもタフネスが要求されます。

 そして、「早め」を主張した僕は勝ち誇って言う「ほら、やっぱり大変だろ、早めに始めて良かったじゃないか」だけど、それを受けても尚もう一人の僕は思う「今日は大変だったけれど、もう1日あれば楽勝だよ」
 基本的に何かが完了するまで僕はこの問答を一人で延々と続けることになります。

 まだ部屋は滅茶苦茶だし、バイクもベランダに積み上げて見ない振りをしてきた古いエンジンなんかも洗濯機も捨てなくてはならないし、あちこちに何かを頼んだり作業をしたりお金を払ったり、することはたくさんあるけれど、とても楽しみな引越しなのでワクワクすることには変わりありません。