how many stars do you want?

 昨日Wと話をしているとミシュランの話題が挙がった。W曰くミシュランはタイヤのミシュランのことだそうで、もともとは郊外の自動車に乗ってでもわざわざ出掛ける価値のあるレストランをリストアップして、結果的に自動車にたくさん乗ってもらいもっとたくさんのタイヤを売ろうという戦略が発端だということです。ミシュランの東京版が2,3週間前に随分話題に上がっていたから、もしかしたらこういうのはもう常識なのかもしれませんが、僕は全然知りませんでした。

 ミシュラン東京版ができて、蓋を開けてみれば東京はパリよりもニューヨークよりもたくさんの星を獲得しました。なんとめでたい。日本の文化の高さが世界に示されました。みたいな報道がいくつかあり、僕はそれを聞いて全く嬉しくないというわけではなくとも、やっぱり腑に落ちないというのが正直なところだった。

 これがせめて「東京」で良かったと思う。僕が京都に住んでいるからいうわけではないけれど、これが「京都」だったら日本という国は終わりだった。東京は世界で一番混乱を受け入れる事のできる街で、いわばなんでもありだということが一つの強みである都市だ。それは如実に現代日本を象徴している。東京のレストランが外国人に査定してもらって喜んでいるのは別にそれでいい。だけど、京都は違う。
僕には京都のレストランが外国人に「いい」とか「悪い」とか言われて一喜一憂しているところをうまく想像することができない。向こうの基準で何を言われても「だから何?」というのが京都の持つ一つの特色だと思う。もちろんそれがいいとか悪いとかいう話ではなしに。もしもミシュラン京都ができたら、それは平安神宮の中にマクドナルドができたような異常なものになるだろう。

 もしも自分がレストランのオーナーだとしたら、自分のレストランがミシュランで三ツ星を獲得するようにしたいと思うだろうか。僕ならミシュランなんかに誉めてもらっても嬉しくもなんともないと思う。当然だけど、掲載は断るだろう。査定するなんて何様のつもりだろうと思う。
 だけど、営業面を考えると自分の街にミシュランができたなら、そこに載せないということは客があまり来なくなることを意味する。ミシュランは権威という非情な力を持っているし、ほとんどの人はレストランに行くならミシュランをガイドにするだろうから。
 ミシュランというのは、平たくいうと権威という名の暴力のことだ。