mid-night at.

 遠い昔には色々な時代があった。
 その昔、前置詞の位置はまだ比較的自由だった。僕達はその頃の名残で未だに the clock around なんて表現を使ったりする。たとえば、Bell&Sebastianが歌っているように、sleep the clock around といった感じで。これは今の正しい英語では sleep around the clock と書かれるべきだし、こうやって書かれてはじめて「24時間ぶっ通しで眠る」と意味が取れる人も多いんじゃないだろうか。でも、昔は the clock around で良かった。the world over は「世界は終わった」ではなくて、over the worldのことです。

 前置詞の位置が比較的自由だったなら、それはコミュニケーションの妨げになったのではないか、という指摘はもっともだ。
 だけど、そこには本当はもっと広い表現が広がっていたのかもしれない。残念ながら僕はネイティブな英語話者ではないから、英語の前置詞の位置が変わることによってどういったイメージの変化があるのか、とてもぼんやりとしか分からない。そこで、日本語を少し見てみたいと思う。

 春の夜の夢の浮橋とだえして
 峰にわかるる横雲の空

 これは藤原定家が詠んだ歌です。
 助詞の問題ですが、最後の「横雲の空」というのは、本来なら文法的には「空の横雲」と書かれるべきところです。空に横に細長く伸びた雲がある、ということです。これは別に昔だから変な表現をしている、だとかそういうことではなくて、当時すでにこの部分は激しい攻撃を受けています。「おかしい」と。藤原定家という人は、今から見れば当然大昔の人ですが、当時は最先端のアバンギャルドな芸術家でした。だから、彼は批判に屈することなくこの歌をそのまま残した。
 試しに、最後の部分を文法的に正してみれば、それがいかに歌の良さを殺ぐことになるのか分かります。

 春の夜の夢の浮橋とだえして
 峰にわかるる空の横雲

 これでは単に、春の夜に目が覚めたら細長い雲が山の向こうへ流れて行くのが見えた、というだけの、だからなんだ、というだけの歌です。横雲の空という表現を使うことで、はじめて春の夜中に目が覚めてぼんやり眺めた空が不思議ととてもきれいだった、というような感じが出ます。

 こういうとき、僕は「意味がすんなりとは通らない」ということの持つ力を思い知ります。