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 今月の頭に友ヶ島という島に行った、ということを書きましたが、その島には日本軍の施設跡が残っていて、ネットなんかに出回っている写真では大袈裟にいうとところどころ「天空の城ラピュタ」を連想させるものがあります。
 そのような訳で、僕はここしばらくラピュタを見たいな、と思っていて、それでなんとなくインターネットを検索してみたりしていたのですが、なんと終盤で唱えられる滅びの言葉「バルス」というのはトルコ語で”平和”という意味だという記述がそこここに見受けられてびっくりしました。

 トルコというのは僕にとっては単なる遠いどこかの国でしかなかった。

 2005年の愛知万博へ行ったとき、僕とAは真っ先にトルコ館を訪ねた。それは「お母さんが欲しがってるから。忘れないうちに」というAの言によるもので、そこで彼女は青い石でできたトルコのお守りを買った。僕はなんとも思わないでそれを見守った。

 それからしばらくして、僕の研究室にトルコ人物理学者Oがやってきて、今ではもう2年が経とうとしている。そうだ、トルコといえば、と僕はお守りのことを思い出して、あのトルコのお守りをつけていればOが喜ぶかもしれないという理由で、民俗学博物館に行ったとき、万博でAが買ったのと同じお守りを買った。それをOに見せると、Oは「それそれ、僕もいつもジャケットの内側につけている」と言ってジャケットの左側を捲り、そして彼はお守りをどこかに落としてしまったことに気がついて気を落としていた。

 バルスというのがトルコ語だ、ということを知ったところで、もしもOがいなければ僕はなんとも感じなかったと思うけれど、やっぱりOがいるからには驚かざるを得ない。人の物事に対する関心のありかたというのはそういうものなのだろうなと思う。

 ラピュタに関する記述をいくらか見ていると、そこに僕が小学校の終わりか中学に入った頃に見ていた「ふしぎの海のナディア」というテレビアニメについての記述がでてきて、正直なところ僕はそれが大好きだったので、そういえばそんなの見てたな、と思いながら読んでみれば、その書かれている内容は「ナディアというのは原案がもともと宮崎駿で、没にされたので宮崎さんはジブリで代わりにラピュタを作った」というものだった。そういえば、不思議な青い石を持った超科学古代文明の王家筋である少女と飛行機の大好きな少年が、海賊に追われて旅に出て、結局は海賊と仲間になって強大な悪と戦う、というストーリー展開は両者とも同じだ。そういうことだったのか。
 ならば、僕が毎日腰に付けているトルコの青いお守りというのは、ラピュタの飛行石と全くの無関係というわけでもないのだなと、ぼんやり思う。