環境学。

 先日、僕自身のコメントも付けずにキリバスが水没しそうだというニュースを紹介しました。この件に関して、友人の日記でもいくらか議論が行われています。

 僕は環境問題にそう敏感な人間ではありません。何の活動もしていないし、生活は地球に優しくないし、真剣に環境問題を考えている人が僕の生活を見たら怒るだろうなと思います。
 ただ、僕は何も考えていないというわけでもありません。

 環境問題について、色々な人が色々なことを言っていて、色々な取り組みがあります。だけど、僕にはどれも良く分かりません。たぶん僕だけではなく、多くの人が「良く分からない」と感じていて、さらに不幸なことにその多くの人の中には最先端の研究者も含まれているはずです。そして、「分かっている」と思っている人は単に誤解しているか盲信しているだけである可能性が非常に高い。
 なぜなら、僕達は地球についてまだほとんど何も知らないからだ。

 僕の基本的なスタンスは「人類が気持ちよく暮らせること」であって、その点では「地球環境を守るなんて言っているけれど、そんなの只の人間のエゴに過ぎない、人間が滅びても地球は地球だ」という批判を投げかけてくる人々の言っていることは当然だと思うし、同時にそんな当たり前のことがどうして批判になりうるのか、あるいはどうしてそんな当然のことをいちいち口にするのか、という疑問を持たないではいられない。

 キリバスの問題について「地球というのは環境が変化するものだし、キリバスだって大昔からずっとあったわけではない。その島を存続させたいというのは単なるエゴだ」みたいな意見が出ていて、僕はひっくり返りそうになりました。

 「地球温暖化というけれど、地球の温度というのは自然に変動するもので、別に太古のレベルに戻るだけだから地球にとっては問題ない。人間が困るだけで、それはエゴだ」というような意見にも僕は全く与することができません。

 キリバスという国があるときできて、現に今そこに自国を愛し住む人が居るのなら、僕は永久にその国土が存在し続けるべきだと思います。
 人類があるとき発生して、この地球という星に生きるのなら、僕達は人類が快適に地球で生活できるように努力すべきで、そこには地球自身はどんな環境になっても困らないなんて論点のすり替えみたいな異見は介在のしようがない。

 僕達はあらゆる意味合いで自然を必要とする。意味は複雑に絡まりあっていて、誰もその全体象を理解してはない。ただ、森を保護するのはそれが二酸化炭素を二吸収して酸素を作るからだ、というような機能論故ではない。オランウータンを保護するのは森の生態系の為ではない。それをエゴイズムだと呼ぶなら呼べばいいが、僕達はもっと複雑な何かを失いたくないと強く願って生きている。

 僕達は僕達が生きている今の地球を故郷とするものであり、太古はどうだったとかそんなのは知らない。珊瑚の死骸も見たくないし、きれいな空気を呼吸したいし、怖いけれどトラもライオンも絶滅しないで欲しい。地球の面積が限られていることは分かっているけれど、老人には長生きして欲しいし、子供も生みたい。エネルギーも水も心置きなく使いたい。病気になったら高度な治療を受けたい。

 混乱した問題郡で、答えを見つけるのは簡単なことではない。遠い遠い未来、テクノロジーが色々なことを少しずつ解決するかもしれない。でも、今のところ、僕達はかなり限定された知識しか持っていなくて、できることはなるべく自然環境を変化させない、ということに限られている。まだ手術ができるような知識は得られていない。今メスを入れるのは、古代の人々が行ったという脳外科手術なみに危険なことだろう。僕達は今のところつつましく控えめに、変化を抑えるように生活するしかない。

 僕は自分の研究分野がダイレクトに環境問題には繋がっていないし、口先ばかりで何もしない、と言われても仕方ない。でも、僕にだって好き嫌いはあって、大事な大事なエゴがあって、それを譲るわけには行かない。多くの人がそうではないだろうか。自分の人生を環境問題に捧げようと言う人は極々少数で、残りの人々はできることしかできない。そしてそうあるべきだと思う。そうじゃないと「人類が快適に過ごせる」という僕の前提が壊れる。

 60億のエゴをすり合わせて、あらゆる瞬間に変化する最適解を追いかけて、僕達はなんとかやっていくことだろう。キリバスのような悲劇も含みながら、だけど我々は希望を失わないし、最適解を求めるという運動それ自体の中に含まれる希望のことも忘れはしない。幸か不幸か、答えみたいなものはずっと遠くて、僕たちは相変わらず明日もゴミの分別みたいなことをしなくてはいけなくて、未来にこれらの地味で不便な行動は「昔の人は不便だった」という感じで教科書に載ったりするのかもしれない。でも、これが僕たちの時代の生活で、変化は少しずつしか起こせない。文明を急に放棄もしないし、相変わらず自動車は走る。快適さと環境負荷を天秤にかけて、ぐらぐらしながら文句を言って生活して、既得権益だとか政治だとか金が邪魔をしてるとか、もう滅茶苦茶なこの世界は混乱していて正しいも正しくないもなくて、僕に分かることといったら化石燃料の使用はやめる方向で、というくらいのものです。