city.

『真珠色の雲が散らばってる空に 誰か放した風船が飛んでゆくよ
 駅に立つ僕や人混みの中何人か 見上げては行方を気にしている』
小沢健二天使たちのシーン

『大きな音で降りだした夕立のなかで 子供達が約束を交わしている』
(同)

 個人的なオザケンブームがなかなか抜けません。天使たちのシーンは13分39秒もある長い曲ですが、こういった歌詞を書く人は明らかに只者ではないと思う。
 まあいいや。



2007年7月25日水曜日
 部屋を出て学校へ行こうとすると、アパートの廊下に置いている発電機やスピーカーやスケボーなどに「廊下に物を置くことは禁止です。31日に撤去します」という管理会社の張り紙がペタペタと張られている。僕はこのことでもう何回も怒られているけれど除けないので、ついに向こうも強硬な策をとるみたいだ。今月はものすごく忙しいのに、参ったな。「みんなも真似して物を置くので困る」と管理会社の人が怒っていた通り、確かに僕が廊下に物を置くようになってから、同じ階の住人がどんどんと廊下に物を置くようになって、僕の住んでいる階だけ廊下に物を置く文化が根付いた。廊下は無駄に広いし、みんなこうして物をおきたいわけだから何が困るのか僕には良く分からないけれど、そういうことをいう「権利」というものが僕にはないそうなので、おじいちゃんの家にでも持っていこうと思う。

 夕方に研究室を出て、図書館へ本を返却したあとニックへ行って花火を買おうとすると同じく花火へ向かうMちゃんとLに会う。それから出町柳でMちゃん、L、O、Nさん、I君、Sちゃん、Kちゃん、M君、Tさん、Sさん、Sちゃん、Yちゃん、Yちゃん、Kさん、Yちゃん達と花火をする。花火とスイカがたくさんありすぎて半ばやけばちに消費する。それにしても日記に人名をイニシャルで書けば未来の自分には記憶を助けるものとなり、かつプライバシーはある程度守られるであろうという魂胆があるのですが、同じイニシャルの人は結構たくさんいるので他の方法が必要かもしれないなといつも思う。

 この日僕たちの花火を注意しにやってきたお回りさんは比較的好感の持てる人だった。ちょうどお回りさんが現れるとき、ちょっとしたアクシデントで2メートルくらいの火柱を上げてしまったので気にしていたけれど、それもなんにも言われなかった。彼はやたらとゴメンね、と言った。ごめんね、ここでは禁止されているんだよ、と言った具合に。
 京都府は鴨川でのバーベキューや花火の取り締まりを強化しようとしているから気をつけなさい、と先日実家へ立ち寄ると母親が言っていた。それがいいことなのか悪いことなのか僕には分からない。騒ぐと確かに近所迷惑だけれど、住んでいる方が正しいとは限らない。自然の造形として、みんながそこで遊びたくなるような場所があったとき、その周辺に住むことを禁止して、その場所自体は人々が遊ぶために空けておく、という選択肢だってあるはずだ。

 中学生のとき、お寺の裏山でサバイバルゲームをしていて警察を呼ばれたことがある。どういう通報をしたのかパトカーとバイクがやって来て、僕達はまだ子供だったし、さらに刃物も火薬も持っていたし、とても内心はビクビクしながらボディチェックやなんかをやりすごした。
 そのとき、警官が言った言葉を良く覚えている。「遊ぶ場所がないなら遊ぶな」

 僕の住んでいた亀岡市という町は、宅地造成のためにどんどんと自然破壊を進めている途中の田舎で、はっきりいって荒廃した町だったけれど、その分放置されて管理の行き届いていない場所はまだ沢山あった。それでも、今思えば心置きなく遊べる場所というものはそんなになかった。空き地のような場所を見つけて遊んでいても、工事のおじさんみたいな人が出てきて怒られて逃げたりすることが良くあった。僕たちは公園で遊ぶようなタイプの子供ではなかったので、遊ぶ場所を探し、そしていつも「ここで遊んでいたら誰かに怒られるのではないか」という変な緊迫感の中にいた。

 僕は今京都市に住んでいて、当然だけど街というのはいたるところが管理下にある。どこかで何かをすると、誰かが文句を言いに来る。事が起こると面倒なので、大抵全てのことは禁止されている。全員が等しく不自由であることによって人々の不平を封じ込めようという作戦。僕は街がとても好きだけれど、ときどきどうしようもない束縛を感じる。本来は僕たち人間のルールに関係のない犬や猫までもが締め出されて、そしてここは開拓地ではなく、既に全部が誰かの縄張りなのだと気付く。

 大学も、最近は耐震工事をしてどんどんときれいになってきた。そのせいで、階段の下の良く分からないガラクタが放り込まれている場所、みたいな混沌とした場所が消滅しつつある。現に僕とI君が木材などを置いている場所にも工事の手が伸びてきて、僕たちはもう物をいいのか悪いのか勝手に保管するような場所を見出せないでいる。もちろん、これに文句を言えるような立場に僕達はない。お金を払ってしかるべき倉庫を借りろ、と言われればそれまでだ。だけど、大学が隅から隅まできれいになって、混沌としたグレーゾーンがなくなってしまったら、本当に大学というのはそんなことでいいのだろうかと思う。