our reason.

 もちろん名前は知っていたけれど、カントがこんなにかっこいい哲学者だったなんてM先生の授業を受けるまで知らなかった。「宇宙には始まりがあるのか?」という問いに対して、宇宙に始まりがあってもなくても矛盾することを証明して、問いの立て方自体がおかしい、ということをカントはその主著である「純粋理性批判」の中に書いているらしい。1780年頃なんて本当に大昔だと思うけれど、そんな大昔にこんなクールなことを書いたなんて感服するしかない。

 というわけで、僕は人生28年目にして初めて「純粋理性批判」を読む気になり、図書館でそれを借りてきました。
 もう序文の最初からカッコ良すぎます。

『 人間の理性は、或る種の認識について特殊の運命を担っている。即ち理性が斥けることもできず、さりとてまた答えることもできないような問題に悩まされるという運命である。』
(篠田英雄訳、岩波文庫

 そうだ、それなんだ。
 なんていう完全な問題の捉え方だろう。
 僕はもう本当に心の底から、この問題が解けたならなんてすっきりすることだろうと思う。

 純粋理性批判は文庫本で上下に分かれていて、カント自身が「もっと例とか書けば良かったけれど、あんまり長いからやめた」というようにとても長い上、その例なんかがないことから「つまらないけれど辛抱強く読んでね」とこれまたカント自身が書いているので、そんなに時間もないし、僕は昼ごはんを食べながら読むだけに決めているので、いつ読み終わるか分かりませんが、面白いことが書いてあったらまた報告します。読み終わったときに先の問題が解決しているのかどうかとても楽しみだ。

 それから、久しぶりに小林秀雄を読んでみることにしました。茂木健一郎さんが小林秀雄はすごい、と一時期良く書かれていたので、その影響です。
 読んでびっくりした。
 僕は小林秀雄を「読んでおくべきだろう」と思って高校生のときに大体読んだのですが、はっきり言って何を言っているのか良く分からないし、全然面白くなかったのです。むきになって無理矢理に文章を追って、読みながら早く読み終わらないものかと思っていた。
 それが、今読むとすっきり彼の言いたいことが良く分かって、とても面白い。時間が経つというのはこういうことなんですね。同じ文章を十数年前に読んでいるはずなのに、昔はなんて物分りが悪かったのだろうと思う。10年後にも同じことを思うのだろうな。



2007年7月11日水曜日
 大学。
 夕方Tのアトリエにワールドの招待券を持っていって、代わりにサクランボを貰う。そのあと久しぶりに府立図書館へ行って、随分延滞していた本を返す。純粋理性批判小林秀雄を借りる。
 夜にI君と作業。

2007年7月12日木曜日
 大学。酷い雨。食堂でOと昼ごはんを食べているとS君登場。なんと片言のトルコ語ができるみたいでびっくりする。洗濯したカバンが全然乾かないのでコインランドリーへ行って乾燥機に入れる。コインランドリーなんて使うのは本当に久しぶりだ。大学1年生の時の合気道合宿以来だから9年振り。わお。
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