skateboard.

 小学生のとき、映画「back to the futuer」を見て感動し、次の日に近所の万屋みたいなところでスケートボードを買ってもらった。今の、板がしなって、上側には全部ラバーが張られているやつじゃなくて、古いタイプの前と後ろが決まっていてタイヤも板も無駄に大きなやつだった。それも多分1500円くらいのオモチャだったと思う。
 当時はオーリー(スケボージャンプです)なんて概念すらなかったので、僕はただ普通にそれに乗るだけだったけれど、どこへでもスケボーを持っていった。迷惑だとは思うけれどお店の中でも乗っていた。小学校では日記という変な宿題があったので、日記にスケボーの推進原理を分析して書いたのを良く覚えている。今から思うと的外れもいいところですが。

 中学生になると、僕はもうスケボー自体には興味を失っていた。「back to the futuer 2」に出てきたホバーボードが欲しくなり、反重力は無理なのでせめてホバークラフトのようにエアースカートで浮かせることはできないかと、哀れな掃除機を壊してモーターを取り出し(母親には嘘をついて「掃除機が既に壊れているみたいから中身を貰う」と言った)、哀れなスケートボードに空気噴出しようの穴を開けたりタイヤを外したりスカートをつけたりして、結局満足のいくものはできなかった。実際、それは浮いているのか浮いていないのかも良く分からないような酷い代物だった。

 高校生になると、今のと同じ新しいタイプのスケートボードが出回るようになる。当時はスケートボードに関する本もあまり売っていなかったし、トリックに関することは友人Kが一本だけもっていた、アメリカかどこかのスケートボーダー達を映したビデオで学んだ。インターネットなんてまだなかった。
 そのビデオは僕には衝撃的だった。なんといってもオーリーは衝撃的だった。最初に見たときは、どうしてスケボーの上に乗った人間がジャンプしただけでスケボーまでジャンプするのか理解できなかった。スノーボードのようにバインディングがあるなら分かるけれど、スケボーでは足と板を繋ぐものは何もない。でも、ビデオの中で、スケートボーダー達は華麗なオーリーを跳んでいた。

 僕達はスケートボードを買いに行き、ビデオをスローで再生して何度も見てオーリーの練習をした。テールを踏み、デッキを擦り上げる。だんだんとスケボーが浮かび上がりそうな感覚がでてきて、そして遂に跳べるようになった。怠け者で何かを熱心に練習した経験を持たない僕にとっては、それが生まれてはじめての「一見不可能なことでもやればできることがある」という体験だった。
 オーリーが跳べるようになって調子付いた僕とKは、当時「スケーター」と呼ばれていた太すぎるズボンと大きすぎるトレーナーを着るようなへんてこな格好をして、ラジカセを持ってスーパーマーケットの屋上駐車場で練習をするようになった。スケートボードというのはマイナーなものだし、さらに僕達が住んでいたのは田舎で、練習に適したところはそんなになかった。迷惑で危険な悪い子供、というのが基本的な視線だったように思う。だけど、あれってすごい面白いですよ。今まで普通に歩いていた街が、スケボーを持っていったとたん全部公園になる。

 駐車場は只の平面で、障害物などがなかった。だから僕達はジャンプ台や障害物を自分達で作った。作業はKの家の納屋で行った。当時Kは高校を卒業できるかできないかの瀬戸際で、納屋にいるとKのお母さんが「そんなことしてる場合じゃないでしょ」と怒りに来るので、ドアを閉めてカギを掛け、締め切った中でスプレーを使ったので鼻の中だとかがピンクになった。

 僕が先日引っ張り出したのはまさにそのときのスケートボードで、もう随分とくたびれている。

 youtubeでRodney Mullen(小技重視)やWilliam Spencer(機動性重視)を検索すると面白い映像が見れると思います。