alpha.

 先月あったときも原発の話を結構したけれど、友人のゆいちゃんが日記に原発のことを書いているので、良ければ読んでみてください。 http://yui.greenebooks.net/ にあります。

 原子力について調べていて、それで僕は原子力電池北極海周辺に900個くらいは捨てられているだろうという報告を見つけてびっくりしました。
 原子力電池というのは、その名の通り原子力で発電する電池です。プルトニウムポロニウムのα崩壊を利用して熱を作ります。とても長持ちするので、その昔は探査機のボイジャーや、怖いところでは心臓のペースメーカー用バッテリーとして人体に埋め込んで使われていました。そういえば30年も昔に打ち上げられたボイジャーはまだ地球に情報を送り続けていると思うけれど、ものすごいことですね。しかも今や太陽から150億キロくらい離れたところにあるらしいです。
 閑話休題
 もちろん、原子力電池は便利なので、寒冷地でもエネルギー源として重宝された。でも、当然だけど安全とは言い切れないし、今ではそんなに使われていない。使わないならば捨てる、もしくは保管の必要があって、それにはコストがかかるので気が付いたら北極海には900個も捨てられているという状態になったわけです。

 北極圏へアザラシの調査へ出掛けた人の記録を見つけたので、少し引用したいと思う。

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 この小屋の近くに使用済みの原子力電池が放置されていたことである。北海道大学の福田正巳教授は「科学朝日」で、シベリア地方では数多くの使用済み原子力電池が放置されている可能性を指摘していたが、その電池が私たちのすぐそばに捨てられており、電池から1mと3m離れた場所での計測値がそれぞれ8.0・v/hと1.4・v/hを示していたのには驚かされた。現在、約900個が北極海周辺に放置されているとのことで、私たちは否応なしにそのうちの1個と背中合わせで仕事をする羽目になった。幸い、ガイガーカウンターを持参したので危険な場所を避けて行動することにしたのだが、死と隣り合わせの状態でのアザラシの生物調査と環境調査はあまり気分の良いものではなかった。地元の人々は平気でこの原子力電池の廻りを行き来しており、私たちの指摘にもさほど関心を示さなかったのは驚きであった。

(引用終わり)
北極海国際共同研究
北極海におけるワモンアザラシ生物調査と環境モニタリング調査−フィールドノートから−」(宮崎  信之)
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 これを読んで一番気になるのは多分「地元の人々は平気でこの原子力電池の廻りを行き来しており、私たちの指摘にもさほど関心を示さなかった」という件ではないでしょうか。
 文中「電池から1mと3m離れた場所での計測値がそれぞれ8.0・v/hと1.4・v/hを示していたのには驚かされた」とあり、単位のところが文字化けしていて良く分からないけれど、多分これはSv/hのことで単位時間当たりの被爆量を表していると考えられる。信じがたい値だから何かの間違いかもしれないけれど、本当だとしたらこれは相当に驚くべきことで、例えば僕達が年間に自然界から被爆するのが2.4mSv、レントゲン撮影で被爆するのが0.05mSvだから、文中の原子力電池から1メートルの位置に立っていると、たったの1時間で僕達が1年間に被爆する量の3333倍(単位時間当たりで3000万倍)、レントゲンの16000倍もの放射線を受ける計算になる。本当かな、ちょっと値が大きいので、もしかしたら文字化けのところにはミリが入っていてこれの1000分の1だということもあるかもしれませんね。でも、一文字なのできっとSしか入っていないはずです。
 こんなに沢山の放射線を浴びているにも関わらず、気にしない、というのは致命的だと思う。でも、知らないのなら、放射線は見えないから気にはならないに違いない。彼らには本当はどういうことがこの電池の近くで起こっているのか説明しなくてはならない。

 原子力電池の作動原理はα崩壊を利用したものなので、放射線として出てくるのはα線だ。α線はヘリウムの原子核が高速で飛び出したものだけど、紙一枚で遮断することもできるので人体がそれを浴びても表皮、角質ががエネルギーを吸収するので問題はない。問題が起こるのはα崩壊を起こす放射性物質を体内に吸い込んだときだ。たとえば肺に入れば、その物質周囲の細胞は常にα線に曝されて異常を来たす。
 今、紙一枚の厚さで遮断できるはずのα線ガイガーカウンターで観測されているということは、とりもなおさず原子力電池から放射性物質が漏れているということを意味している。それは簡単に人々の体内に侵入するに違いない。
 現地の人々は通常よりも高い発癌性と隣合せのはずだ。

 原子力に限らず、僕達はたくさんの人口発癌性事項に曝されて生きている。でも、誰もそれをシリアスには考えない。なぜならそれは全部「すこしずつ」であって、いっきにはやってこないから。タバコを1本吸ったら癌になる、というわけではなくて、たくさん何年も吸い続ければの話だから。生き物は一概に小さな変化の連続に弱い。茹でカエルの例え話が昔は多用されたと思うけれど、最近では茂木健一郎さんがテレビで広めた「ゆっくりゆっくり変化し続ける映像」が端的にそれを表している。ゆっくりであっても大きな変化が画面上で起きているのに、それを眺めていて変化を感じ取ることは難しい。最初の画面と、終点の画面を見比べれば一目両全に変化しているのに、過程を追っていくとその変化に気が付かない。癌だって同じことだ。

 さらに、発癌性物質をこの世界に供給している人々にとっても、少しずつというのは都合がいい。もしも誰かが癌になっても、「それがうちの商品によりものである証拠はないですよね。単にタバコの吸いすぎかもしれないですよね」みたいな感じで責任を自分ではないところへ転嫁できる。いたるところに発癌性物質は存在しているので、特定の誰かが責任を追及されることはない。


2007年6月4日月曜日
 夕方から総合資料館でレファレンスの方2人の協力を得て豆塚の資料を探すも見つからず。大正11年、昭和4年の深泥池の地図にも載っていない。その後、深泥池貴船神社へ行ってみたけれど、おばあさんには会えず。

2007年6月5日火曜日
 夕方、大学でI君とキャッチボール。
 夜、OとM会館でキリンカップを見るも面白くない。
 そのあと、Kさんも一緒にメキシコ料理を食べに行く。
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