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 豆塚を探しに、昨日はまたしても夕方に深泥池へ出掛けた。本来なら文献や人からの情報をもっと集めるべきだが、深泥池は比較的近所なので足を多用するというのも悪くはないし、何より「行けばもしかしたら今日見つかるかもしれない」というせっかちな思いがあって、大抵日が暮れ始めた頃に僕はそわそわしてしまう。

 I君を誘うと「眠いから嫌だ」と邪険に断られたので、一人で大学から深泥池へ向かった。この日確かめたかったのは深泥池の近くにあるという「祠」で、僕はその祠の情報をヨーロッパ企画の古いサイトで見つけた。その文章は基本的に面白ろおかしく読むために書かれた物で詳細は書かれていない。さらに既になくなったページをキャッシュで読んだので本来はあったのかもしれない写真が載っていない。だから具体的にはその祠がどういった祠なのかよく分からなかったので、とりあえず見て確かめようと思ったわけです。深泥池周辺のその手のポイントは全部チェックしようという作戦ですね。

 深泥池の南西端から時計周りに池を回り、坂道を登っていくと右手に階段がある。その上に犬小屋のような祠があるというので、僕はそこへ行って見たのですが、本当に犬小屋のようななんてことのない、しかも新しいものだった。それどころか何も祭られていない。「なんだ」とがっかりして、本当にヨーロッパ企画の人々はこれのことを言っているのだろうかという疑問も湧いたので、携帯でそれを撮影した。メールで尋ねてみればいい。

 その祠は階段を登る前から見えるところにあり、その奥にはハイキングコースのようなものが密やかに作られていて、しばらく僕はそこを散策してみた。特に何も見当たらない。山へ入る前から考えてはいたけれど、地形的にこの山の中にはありそうな気がしなかったし、日が落ちつつある心霊スポットと言われる山の中を一人でうろうろするのはあまり気分の良いものでもなかったので、当面の目的を達した僕は引き返すことにした。

 夜ご飯に北山通りのパン屋でベーグルやパンを買って、部屋でそれらを齧りながら『平安京を歩く』という本を読む。平安京には塀がなかったのに、どうして羅生門なんて門だけを作ったのだろう、と昔から疑問に思っていたけれど、「平安京の東には塀があり、淀川の方面から上がって来る海外の使節には羅生門と東の塀だけが見えて、まるで平安京が立派な街であるかのように見えたのかもしれない」という記述があってなるほどと思った。

 その後、貸すと約束していたラーメンズのDVDを持ってSちゃんのところへ遊びに行く。夜中の河原町通りでI君にばったり会う。

 昨日引用した貴船の物語では、塞がれた穴は”鞍馬の奥、僧正が谷の奥の岩屋”であり、ここへ豆も用いている。これは豆塚の伝説とは矛盾しているようにも見える。
 また、上加茂話によれば鬼退治のことを相談しにいった村人に貴船神社は「貴船神社の端の穴が深泥池まで続いていて、そこを鬼が通るのだから入り口と出口を塞げば良い」と言っているが、貴船側の穴はどうなったのか。