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 昨日の日記に書いたように、僕は昨日『豆塚』という昭和初期に失われた塚のことを知り、ひいては鬼の通った穴を見つけようと思い立ちました。

 というわけで、昨日のブログをアップしてしばらくしてから、居ても立ってもいられなくて、夕方に深泥池貴船神社まで行って来ました。
 一説によれば、『豆塚』はこの神社の境内にあったということなので、とりあえず訪ねてみたわけです。

 この神社は住宅街の中、山を背後に控えた形で建っていて、僕はこれまで2,3回くらいはその前を通っているはずだけど、存在を知らなかった。とても小さな神社です。
 階段を見上げれば、神社は鳥居が倒されてまるで荒れ果てた様相を示しており、神聖を感じることはなかった。ただ、それは何者かによる破壊ではなくて改修工事か何かの一環らしいことがそこかしこに置かれた土木道具から見て取れる。

 少しい階段を登ると、境内は2手に別れており、そのまま真っ直ぐに登れば「すぐきの神さま」を祭っている秋葉神社、右へ折れると貴船神社の本体となっている。僕は最初に秋葉神社を見たけれど、小さい社が一つと、その隣に戦没者碑があるばかりで、地面はコンクリートで固められているし、特に見るものもなかった。ただ、社と石碑の間に、山肌からの水を引く塩ビニパイプが突き出ていて、そこから水が滴り落ちていたのが少し気にかかる。
 というのは、前回も書いたように、僕は本当に鬼の通った穴がないとしても貴船-深泥池の水脈くらいはあったのではないかと考えているからだ。水は無視できない。
 ちなみに、この後本屋で京都の本を立ち読みするという安直極まりない調査を行うと、「深泥池に至るきれいな水にオオサンショウウオがいて、それを昔の人は鬼と思ったのではないか」という説があった。どちらにしても水だ。
 とはいっても、僕はこの説には与しない。なんというか、果たしてそんなに昔の人って間抜けだったんだろうか、と思うからです。確かに、オオサンショウウオはへんてこな生き物だし、穴の中にいるところを見ると鬼だかなんだかのモンスターに見えなくもない、かもしれない。仮に僕がサンショウウオなんて生き物の存在を知らないで山に入り、沢にそれを見つければ驚くだろう。でもなんだかなあ。鬼って思うだろうか。僕は当時の人々が持っていた自然観も思考体系も持ち合わせないから、この手の空想というのは貧弱なものだけど。そんなに間抜けだったのだろうか。ジュゴンと人魚を間違えたとか、そういうことってあったのだろうか。

 まあいいや、この際サンショウウオだったかどうかはあまり問題ではない。
 問題なのは、そのサンショウウオはどこにいたのか、ということだ。そこには貴船に至る何かしらの通路なり水脈なりが存在していたのだろうか。

 可能性としては、貴船とは地質的に何の関連もない穴があって、そこにいたサンショウウオを「鬼」だと認識し、「鬼といえば貴船だ」、だから、「この穴は貴船に通じているに違いない」という至って単純な誤解が伝説の全てに過ぎないのかもしれない。サンショウウオくらいだったら豆を投げただけでもひるむだろうし。
 だとしたら、サンショウウオかどうかはとても重要な問題になりますね。

 次いで、僕は貴船神社の本体を見に行った。なんてことはない、小さな神社だ。ちょうど一人のご夫人が参拝にいらしていて、「こんにちは」と声を交わしたのをきっかけに僕は『豆塚』のことを尋ねてみた。年配の方だったので、昭和初期のことなら少しは存じていらっしゃるかもしれないと思ったからだ。
 彼女は『豆塚』のことを知っていたし、それがこの神社の境内に存在していたかもしれない、という説のことも知っていた。だけど、それ以上のことは知らないということだった。ただ、「毎日、お参りに来るから、色々聞いておいてあげるから、よければまた来なさい」ということで、いくらかの人に尋ねてくれるとの心強い言を頂いた。近所にずっと住んでいる老人ならば何か知っている可能性は大きい。昭和の初期ということはせいぜい70年程度以前の話で、まだダイレクトな記憶を持った人が生きていることは十分に考えられる。

 あと、ご婦人の話によれば、工事が始まったのは今日だという。もちろん、単なる偶然にすぎないだろうけど、僕はこの日『豆塚』の存在を偶然知って、そして調査を開始した。鳥居が倒され、地面が掘り返されたその日に、ちょうど僕は始めたのだ。偶然であろうがなんであろうが。

 それから、ついさっき色々調べていると、貴船神社宮司の高井和大さんが現代語訳されたお伽草子『貴船の物語』という実に興味深い話を見つけました。最後の部分を引用させていただきます。
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 さて、鬼国の大王、このことを聞き知って、

「なんと不思議、一度餌食にしたというのにこりもせず、また生まれ逢ったぞよ。なんと憎いやつらよ。今度は二人とも餌食にしてやろうぞ」
と、八人の鬼の手下どもを先兵として日本へ送ろうとした。その時、鞍馬の毘沙門、これをお知りになり、「罪なき人々のためならば」と別当(現代の警察庁長官)に示現(霊言)を下された。大変驚いて法皇に報告申し上げると、法皇は大学寮の学者衆をお呼びになって「方策を占え」と下命された。いろいろと調べ、占って申し上げるには、
「この鬼は節分の夜に必ずやって来る。しかし、鬼を来させない方法があります。七人の博士が鞍馬の奥、僧正が谷の奥の岩屋を封じ塞いで、三石五斗の炒り豆で鬼の目を打つならば、鬼は十六の眼を打ちつぶされて、眼を抱えて返るでしょう。<かぎはな>という鬼、<てなが>という鬼あり。この鬼には鰯を焼いて串に刺し、家の門口に刺しておけば、人と間違えて鰯をとっていくでしょう」
と。

 それならばと、七人の博士を呼び寄せ、その通りにすると、はたして鬼、十六の眼を開いてやって来たが、炒り豆を三斗まくと、眼を打ちつぶされて返ってしまった。

 大王、腹をたて、

「穴は塞ぐことができても、天までは塞ぐことができまい。よし、今度は日本の人間どもをことごとく奪い取ってやる」
と声高にわめくのを、鞍馬の毘沙門お聞きになり、また別当
「急いで法皇にお伝えし、五節句ということを祭るべし」
と示現を下された。別当、急いで参内し、法皇にこの由をお伝え申し上げた。

 法皇、大学寮の学者衆を召して、

五節句ということを占え」
と、おおせられ、七人の博士がお応え申し上げた。

 それは、まず正月は、七日の日、七草をとって三方(さんぼう)に奉る。三月三日は桃の花、草餅で祝い、五月五日はちまき、七月七日はそうめん、九月九日は菊の花。これらは皆鬼の悪行を征服する方法。

 桃の花は、鬼の目に似ていることから鬼の眼を飲むということで、酒に桃の花を入れて飲む。草餅は鬼の肉の代わりとしてこれを食う。ちまきは、鬼の髻(もとどり)としてこれを食う。菖蒲は、鬼の角として酒に入れて飲む。そうめんを食うのも、鬼のはらわたとしてこれを食う。菊の花は鬼の眉毛として酒に入れてこれも飲む。正月に門松、歯朶(しだ)、譲葉(ゆずりは)を門口にかけるのは、門松は鬼の墓標、歯朶はあばら骨、譲葉は鬼の舌。

 このように五節句をはじめると、大王これを見て、

「いやはや、これでは事はならぬ。日本の人間にたぶらかされてはかなわない」
と、その後は鬼国より出て来ることはなくなった。

(引用終わり)
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 桃の節句だとか子供の日だとか、門松にこのような意味があったとは。そうめんが鬼の内臓だとか、そのような見立てのことを何にも知らなかった。

 このお話の全文は http://www.kibune.or.jp/jinja/monogatari/index.html にあります。とても面白いです。