空色で空と見分けのつかない鳥。

 ニュースをパラパラと眺めていたら、石峰寺の石像が30体倒されて、うち5体が壊れた、という記事があった。僕達はここを春に訪ねたばかりだ。家庭的な良い寺だった。ほとんど誰かの家の庭といった雰囲気の寺だった。その記事には「ショックだ」という住職の言葉も載っていて、見れば住職の年齢は27歳で僕とほとんど変わらない。きっと僕達が石像を見物していたときに子供と奥さんと一緒に竹の子を掘っていた人に違いない。言葉を交わしたわけではないけれど、その様がとても平和だったのでいくらか親近感があり、余計に残念だと思う。

 石峰寺へ至る道筋は、ところ狭しと家々が庇を並べる住宅街で、ある家の前と、なんとか地蔵という地蔵のところに「自由にお持ちください」と書いた箱が置かれていて、そこに鞄だとかマフラーだとかが入っていた。
 ある家の前を通りがかったとき、開け放った扉を通じて、その中にいらっしゃった2人の女性とすこし話をすると、もうすぐ立ち退きだから、いらないものはこうして持っていってもらうのだ、と言われた。僕はどうして立ち退きになるのか疑問に思ったけれど、なんとなく理由を聞くことは躊躇われたので聞かなかった。立ち退きというのはどうしようもない重さを持った言葉だと思う。

 相国寺で今開催されている若冲の展覧会に、たぶん僕は行くことになるだろう。若冲という人が江戸時代の人間だということが、未だに信じられない。たとえば彼の鳥獣花木図屏風をはじめて見たとき、僕はまるっきりキツネに抓まれた気分だった。それは江戸時代にあってはならないものだと思った。オカルトの用語で「その時代の技術では作れなかったはずなのにその時代の遺跡から発掘されたもの」のことをオーパーツと呼ぶけれど、鳥獣花木図屏風は僕にとってそれに近かった。もちろん、天才の仕事とはそういうものだ。

 それにしても相国寺若冲縁の寺だとは。僕は何も知らずに、何年か前まで相国寺の近所に住んでいて、ときどき自転車で「なんだか怪しい雰囲気の寺だな」と思いながら境内を通り抜けていた。知らないというのは奇妙なものだと思う。



2007年5月24日木曜日

 研究室にずっといる。
 珍しく母親からメールが来たので何事かと思えば、「麻疹が心配だから予防接種を受けよ」という指令だった。僕の母親はいい加減な性格なので、僕が麻疹にかかったことがあるかどうかを覚えていない。予防接種には行きたくないし、そこまで流行はしていないので、丁重に断る。麻疹が流行しているのは確かだけど、麻疹は日本から撲滅された病ではないので、その患者は常にどこかにいる。集団発生でない限り、取り立てて騒ぐこともないのではないか。
 麻疹の話をOにしようと思ったが、麻疹に相当する英単語が分からないのでネットの辞書で「はしか」を引くと、”その犬はしかられた後、しっぽを後ろ脚の間に挟んでおとなしく歩き去った。 ”という例文もヒットした。その犬(はしか)られた後、という風に”はしか”が含まれています。なんだかいい例文ですね。僕は辞書の例文が実はとても好きです。世界最小の小説ではないかと思う。